【濱崎組】多能工基盤に「左官工事業から総合仕上げ業」を目指す! 独自プログラムで職人育成 | 建設通信新聞Digital

4月18日 木曜日

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【濱崎組】多能工基盤に「左官工事業から総合仕上げ業」を目指す! 独自プログラムで職人育成

 濱崎組(松山市、濱崎増司社長)は、四国の大規模建築工事で圧倒的なシェアを誇る左官工事業でありながら、多能工を柱とした『総合仕上げ業』へと生まれ変わる道を歩んでいる。濱崎貴司取締役専務執行役員は、「多能工を基盤として、ほかの会社に真似できない建設グループを目指したい」と将来の企業像を思い描く。

濱崎貴司専務

 1964年の設立当時から「仕事を下請けに任せず、自社で人を採用して育成する自社施工体制にこだわり、徹底した品質管理で、信用を得てきた」。建築・工業系の学生以外でも一人前の職人に育て上げる、全寮制の独自の教育カリキュラムによる教育体制を構築したのも54年前だ。この教育システムは、数度の変更を経たいまも続いているが、15年以上前には将来の技能工不足に危機感を持ち、社内の採用、教育改革に取り組んだ。
 1年目で3級技能士を取得し、2-3年目で2級技能士を取得。5年目には1級技能士にチャレンジし、その後は副長(主任技術者)、工事主任、工事係長、工事長、マイスターまで上り詰める明確なキャリアパスを作成した。こうした取り組みで近年は「毎年、10人前後の新入社員を迎え入れている」という。現在、現場で働く社員技能工(職人)の平均年齢は41.4歳に若返った。
 全職人約140人のうち、78人が1級技能士を持ち、2級・3級技能士を含めると110人以上に上る。2019年11月には20歳の吉村静流さんが第57回技能五輪全国大会で金賞を受賞。『地を養えば花は自ら開く』を理念とした教育システムは着実に次世代へと受け継がれている。
 四国の左官工事の専門工事業者として確固たる基盤を確立してきたが、常に変化を模索している。99年からリニューアル事業をスタート、06年には東亜ホームをグループ化して注文住宅事業に進出。10年には内装工事、外断熱工事のスタートとともに建築部として元請けの工事受注も始めた。いまではグループ売上構成の半分以上を左官工事以外の事業で占めるに至った。単に多角経営を目指したのではなく、新規事業に乗り出した原点、最も大きな目的は「年間を通じた職人さんの仕事の安定化」という。
 「多能工」にも、最初はできる仕事を増やそうとして取り組み始めた。左官職はもともと器用で、前後の職種の作業もできるだろう、という発想でパワーボードの施工にも取り組んだ。ところが「やはり餅は餅屋。片手間の技能では、専門職種のプロの“通り相場”ではとても請けられない。暇な時はみんなが暇で、忙しい時はみんな忙しいため、左官の手が空いた時には他職種の仕事もなかった」と苦戦した。こうしたさまざまな失敗経験をしてきたからこそ、人手不足の現在、“多能工待望論”が巷間(こうかん)叫ばれている中でも「作業間の隙間を埋めるだけで、都合の良いように使おうという発想なら、それは多能工ではない」と信念を貫く。
 本物の多能工は「複数職種の技能士資格を持つ人」と定義する。資格を取るためには、実践経験を積むための仕事量が必要になる。ここで、元請けや注文住宅事業を展開してきたことが生きる。「複数職種の実践経験を、社内の職人さんに提供できる環境がグループ内で整ってきた」
 こうして育てた多能工を基盤に「左官工事業から、複数の仕上げ工事ができる『総合仕上げ業』を目指す」と企業像を明示する。既に、左官1級技能士と内装(表装)2級技能士など、複数の技能士資格を取得し、自信と自覚を持った職人が誕生している。
 若手職人の定着の問題など多能工育成の難しさを痛感しているものの、自社が近接異業種に参入できるというメリットだけでなく、「ゼネコンは、当社に発注するだけで、2つ、3つの工程の打ち合わせが1回で済み、下地から仕上げまで1社で施工する品質上のメリットもあるはず」と“本物の多能工”を展開する意義を説明し、育成方法などを改善しながら今後も職人の活躍の場を広げていく。
 内装工だけでなく、「左官の技能を生かせる」外断熱工事は、既に北海道など6県で施工実績を積み上げている。大工の育成にも取り組み、ことしも大工の新入社員を1人採用、若手の社員大工は3人となる。「左官の単一業種だけで安定した経営のできる時代ではない。機動力の良さを生かして、自分自身で限界をつくらず全国にチャレンジしていく」と、職人育成を核として仕事の間口を広げ、自ら変化する会社づくりに挑む。
 
 
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