【寄稿/石川正樹(日本工営仙台支店交通都市部部長)/復興は選択肢が増える過程】
東日本大震災が発生した日、私は本社で納品作業に追われていました。テレビには津波映像が繰り返し映し出され、甚大な被害を歯がゆい気持ちで見つめていました。宮城に住む親族の安否が確認できた安堵(あんど)と、激しい揺れへの恐怖を抱えながらも、まずは目の前の仕事を終わらせようと必死だったことを今もはっきりと覚えています。
年度が明け、宮城の実家を訪ねた際に、荒浜、気仙沼などの沿岸部を巡りました。言葉を失うほどの光景を前に、画面越しに見ていた被害と現実として目の当たりにする被害との間には、埋めようのない隔たりがあることを痛感しました。
復旧・復興に向けた動きが本格化する中、国土交通省都市局の業務として、福島県いわき市と浜通りの双葉郡6町を対象とした被災調査と復興計画の検討に携わることになりました。東北出身の自分も現地に入るべきではないか。そう考え、業務メンバーに志願して参加しました。
いわき市内に現地事務所と宿舎を確保し業務に当たった1年間は、非常に濃密な時間でした。浸水範囲の確認や被災家屋・被災企業の調査など、日々の業務は調査票や図面、記録の積み重ねでした。しかし、現地の方々と対面で話を重ねる中で、それらが単なるデータではなく、一つひとつが生活や生業(なりわい)そのものと結びついていることを、強く意識するようになりました。当時の状況、被災後の苦労、そして将来への不安を静かに語られるたびに、復旧や復興は一体いつ、どのような形で実感されるのだろうかと、答えのない思いが胸に残りました。
楢葉町以北の双葉郡では、放射線量が高い状況が続いており、当初は現地に入ることすらできませんでした。その後、線量が低下したエリアに限り調査に入ることができました。立ち入り制限という現実は、自然災害とは異なる原子力災害の重さを、静かに、しかし確実に突きつけるものでした。
現地では、業務メンバーとの共同生活も経験しました。日中は復興業務に追われ、夜にはその日の出来事や判断について言葉を交わす。同じ時間、空間を共有する中で、互いの考えや迷い、覚悟のようなものが自然と伝わってきました。被災地の復興に携わる仕事は、決して一人では完結しません。共同生活を通じて、技術や知識以上に「同じ方向を向き続ける仲間がいること」の大切さを、身をもって学んだように思います。
その後、復旧・復興に関わり続けたいという思いから仙台支店へ異動し、常磐自動車道での追加インター検討、福島浜通りの復興道路CM(コンストラクション・マネジメント)事業や除染監督の支援業務の所掌など、形を変えながら被災地に関わってきました。震災対応は特別な仕事ではなく、日常の業務の延長線上にあり続けていると感じています。
15年という時間がたち、被災地の風景は確実に変わりました。しかし、復興とは完成を宣言できるものではなく、人々の選択肢が少しずつ増えていく過程なのだと思います。あの1年間の現場で感じた迷いや戸惑いは、今も仕事の根底にあります。「現場に身を置くこと」「仲間と過ごすこと」の大切さを、次の世代にも伝えていきたい。その思いを胸に、これからも関わり続けていきたいと考えています。
