思い出ではなく経験に
15年前、東北地方で発生した地震は、二次以降の災害も含めて未曽有の大災害という位置付けになっています。私自身にとっても未曽有の出来事であり、職業観・人生観を大きく揺さぶり問いただす事象でした。震災被害は甚大で、初期には規模・ダメージの状況すら把握できない状態でしたが、地域の建設業者はその日の夜から、昼夜を問わず先の見えない啓開作業に臨み、「やれること」を粛々と遂行していました。自分は当時秋田県横手市に単身赴任中でしたが、発災直後からさまざまな情報があふれる中、どうやら自宅のある仙台市沿岸近傍も被災地域だということが分かり、渋滞する国道を160㎞、8時間かけて帰省しました。家族の無事を確認できたのもつかの間、停電・断水などのライフラインが止まった状況で会社に出勤し、そこから自社施工物件の被害状況調査・客先の安否確認などを実施して、可能な限り復旧工事を実施する毎日でした。その後、私は自分の自宅近傍であるエリアのがれき処理・復興区画整理事業に携わることになりました。がれき処理は、発注者・施工者ともに未経験で手探り状態での開始であり、想定していなかったことばかり発生し、その対応に苦慮したことを覚えています。発注者も膨大な物量・種類のがれきを広域処理するというかつてないスキームを、復興のスピードを阻害せぬように懸命に取り組まれていました。受発注者ともに「一刻も早くがれきを処理する」という矜持(きょうじ)を持って業務に取り組んできたと感じています。また、この時のさまざまな即断・即決は非常に印象深く、今振り返っても数多くの英断がなされた事業であったと考えます。業務の特異性から、全国から政府関係者を含め多数の視察団が訪れたことも特異でした。
がれき処理の終了後には、その地での復興土地区画整理事業にも携わりました。この事業は官民ともに「着工可能になったエリアから随時着手していく方式(ファストトラック方式)」で進捗(しんちょく)することが前提の事業でした。通常の区画整理のように土地収用・土地利用計画などが決定してから工事に着手するような手順と、今現在も仮設住宅にお住まいの方々の時間軸が到底合致するはずもなく、とにかくやれるところからやっていく状態が継続していました。その中で、被災者在住の建物・居住者への配慮として幹線道路の迂回(うかい)ルートを変更したり、捜索作業への協力として関係エリア付近の作業を一時中止したりするなど、一律ではない被災者の思いや発注者の苦渋の選択、必ずしも効率的ではない施工を数多く経験し、さまざまなトレードオフを実施しました。特に復興関連のイベント(コンサート、マラソンなど)も多数実施されるエリアだったので、都度工事調整を必要としました。
今振り返ってみると、あの場面は本当にあの対応で良かったのだろうか、と自問自答することも多く、決して100点満点ではなかった、という思いです。その中の減点部分は、もしかしたら平時から備えておけばいくつかは最適解を選択できたのかもしれないとも考えます。自分の職業がたまたま社会のインフラ構築関連であったから、また自分のすぐそばで起きた災害だったから、このような俯瞰(ふかん)もできますが、これが全部異なる環境であったならば、自分には今でも単なる「大変だった思い出」だけになっていたかもしれません。これを思い出でなく経験として咀嚼(そしゃく)し、次の災害に備えるためにわずかでも社会に貢献することが、震災を経験した自分たちが担うべき役割の一つなのだろうと考えます。

