構造物は“時間の結晶”
東日本大震災の発生から15年が過ぎました。時は確かに流れ、生活再建は移転地での暮らしへと変わりながら進んでいますが、心のケアは現在も続いています。私は、航空自衛隊ブルーインパルスで知られる宮城県東松島市に住み、建設業に携わる一人として、震災後の復旧・復興に関わってきました。
震災翌日の朝、目の前に広がっていたのは、何もなくなってしまった変わり果てた光景でした。薬もなく、治療を必要とする人がいても手を差し伸べられない無力感と悲哀は、今でもはっきりと覚えています。
当初はがれきの撤去から始まり、交通基盤の復旧、集団移転を含む住宅や防災施設の整備、生業施設の再建へと工事は進みました。その間、近隣の被災地に住む友人たちから「引っ越した」「引っ越す予定だ」という連絡を何度も受け取りました。生活再建に向けた一歩だと受け止め「よかったね」と返事をしながらも、人の移動によって、愛着ある地域が廃れてしまわないよう、復旧工事は特に急がなければならないと常々感じていました。
しかし現実は厳しく、工事が各地で増加し、資材の調達が困難となり、振り返れば、自分のできることを必死にこなす日々でした。工事現場付近の地域の人々との何気ない会話では、子どもたちの未来や今後の地域の姿など、次の世代が安心して生活できる環境についての話題が多く聞かれました。そうした思いに応える仕事であるという意義を、当時は意識する余裕もないまま忙しく日々が過ぎていきました。
15年の歳月を経て、復旧から復興へと歩み、完成した数々のコンクリート構造物を目にすると、それらは単なる材料加工の成果ではなく、さまざまな条件を乗り越えながら、人々の営為が積み重ねられてきた“時間の結晶”だと感じるようになりました。結果として、私も、地域の人々が口にしていた「次世代に地域をつなぐ」という思いに、わずかでも寄与できたのではないかと思います。
近年、被災地を訪れる人々の関心は、震災遺構にとどまらず、かつての地域の景観や特産品、文化へと広がってきました。来訪目的の変化は、訪れやすく整備された道路や街並みの形成に支えられていると感じます。震災直後には、自衛隊や在日米軍が大規模な支援活動を展開し、重要な役割を果たしました。その後は、建設業者が長きにわたり復旧・復興の一翼を担ってきたことで、地域に笑顔を取り戻していきました。こうした歩みが地域の記憶として、今後も受け継がれていくことを願っています。
当時は想像もしなかった規模の災害に直面し、想定どおりに進まない現場と向き合う日々でしたが、困難な条件下でも最後までやりきる姿勢の重要性を、現場を通して学びました。また、今後直面する人口減少の現実にも向き合い、地域の将来を案じ寄り添う心も培われました。震災後、必然的に現場に立ち、意識せずとも多くの経験を積んだ15年でした。建設業は、非常時にこそ真価を問われる仕事だと感じています。震災からの学びを胸に、これからも地域とともに歩み続けていきたいと思います。

