長期の時間軸が教訓もたらす
当時、私は仙台市内のマンションで家族とともに暮らしていました。地震直後は車で寝泊まりし、その後は家族が一部屋に集まり、寄り添って就寝しました。ライフラインは完全にストップしており、発災後の2-3日は、日の出から日の入りまでの間に水や食料を調達するのが日課となりました。もっと苦労された方はたくさんいらっしゃると思いますが、5階にある自宅まで何往復したか知れない水運び、長い列に並んでのパンやカップ麺などの食料確保を通じて、それまでの何の変哲もない日常がどれほどありがたいものか、つくづく思い知らされました。数日後、一気に忙しくなります。最も大変だったのは旧北上川河口部の復旧・復興事業に関するCM(コンストラクション・マネジメント)業務でした。宮城県石巻市の旧北上川河口部は、歴史的にも川湊としてにぎわい、川とまちが一体となって発展してきた地域で、堤防は設けられていませんでした。そこに、長さ約15㎞、最大高さ7.2mの巨大な堤防を新たに整備しようというものです。まちをつくり直す大事業でした。加えて、広域的な地盤沈下も発生しており、複数の橋の架け替えや3カ所の排水ポンプ場の新設、水辺利用を促進する“かわまちづくり”も同時に推進する必要がありました。
国、県、市の10を超える事業主体が同時に動く中で、関係機関とのさまざまな連携・調整や、事業実施中に生じる課題への即応体制がなければ、事業の進捗(しんちょく)に支障を来します。民間技術者チームが事業管理と施工管理を兼務し、いわば「何でも相談窓口」としての役割を担いました。現場には多くの当社技術者が常駐し、日々対応に当たりました。夏の暑さや冬の寒さをはじめ、現場の就労環境は大変厳しく、少しでも働きやすい環境にしようと奔走すると同時に、同時並行で施工が進む中で、現場から次々と出てくる課題策を検討しました。私は後方支援の立場でしたが、最前線で働いた現場の技術者の苦労は計り知れないものがあったと思います。現場チームの「なんとしても復旧・復興を成し遂げたい」という強い意志が、この事業を一貫して支えていたと思います。
当社の国土基盤事業本部では、震災復興から10年以上が経過する中、若手技術者をはじめ全国から希望者を募り、当社が関わった旧北上川河口部や、水門・陸閘、海岸・河川堤防の現場を見学し、学習する機会を設けています。未曽有の大災害で、何もかもが手探りでしたが、当時の検討・設計時の技術的な問題とその対応、さまざまな苦労について、実際の構造物を前に改めて学ぶことは少なくありません。
広域で沈下した地盤が少しずつ元に戻るなど、10年以上の時間経過によって新たに生じている課題も見えてきています。今回のような大規模災害では長期的な時間軸で捉えることが重要であり、今後の防災・減災の取り組みに多くの教訓をもたらすものだと思います。
15年に及ぶ復旧・復興の取り組みの成果と課題を、当事者であった私たちが語り継ぎ、若い人たちとともに技術の継承を図っていきたいと考えています。

