感謝の言葉に湧く使命感
私が被災地に関わることとなったきっかけは、東日本大震災に伴い発生した福島第1原子力発電所の事故により、放射性物質が環境中に大量に放出され、福島県をはじめとした東日本エリアでの深刻な放射能汚染が明らかとなったことでした。この事態を受け、環境コンサルタント会社に所属していた私は、東北・関東地方の水環境の放射能モニタリング調査や対策検討の業務、福島県の浜通りを中心とした市町村の除染などの各種業務に従事するようになりました。
当初は、放射能に関する情報・知識を十分に持っておらず、「除染」についても、どのような調査や手続きが必要なのか、どのような工事を実施するのか、どのようなことに留意しなければならないかなど、全く理解できていない手探り状態の中で、仕事をちょっとでも前に進めることだけを考えて、無我夢中で働いていたような記憶が残っています。
当時は、世相がまだまだ震災の混乱の中にあって、全ての仕事で緊急かつ誤りのない成果を求められ、加えて自分たちの放射線被ばくにも留意する必要があるなど、これまでの仕事では経験したことがない制約条件に縛られることが多く、気苦労が絶えませんでした。また、住民が避難した福島県のとある町の立入制限地域で実施した冬の現地調査では、道路の多くが寸断しており、除雪も行われていないため、車での移動を諦め、かんじき(スノーシュー)を履いて、積雪が腰の高さまである山道をラッセル移動するなど、体力的にも非常に辛かったことを覚えています。
しかしながら、われわれはこのような苦労で弱音を吐いてしまいましたが、われわれのささいな苦労とは比べものにならないほどの大変なご苦労をされてきたのは被災者の方々であり、絶対に忘れてはいけないことだと改めて胸に刻み込んだ出来事がありました。
避難地域での除染の同意取得業務に携わっていた時のことです。家屋などの除染工事に先立って、その所有者の同意が必要になるため、所有者の避難先を訪問し、除染工事の実施についての同意を皆さまにお願いしていました。当時、われわれが避難先を訪問する前の時点では、原発事故などで避難を余儀なくされた方々であるため、われわれは門前払いか、冷遇されるかであろうと予想していたのですが、全く反対の結果でした。というのも、われわれが訪問すると、その来訪に謝意を示され、当方の説明に真摯(しんし)に耳を傾けていただき、終始温和なトーンで会話してくださる方がほとんどでした。果てはわれわれの仕事の大変さを気遣い、ねぎらってくださる方も多くいらっしゃいました。
その中の一人がおっしゃった「原発事故は原発事故として怒りは収まらないが、あなたたちは復興のため、われわれの帰還のために、こうして頑張ってくれているのだから」という言葉は今でも忘れられません。改めて被災者の皆さまの気持ちに常に寄り添った仕事をしなければならないという使命感が湧き上がった瞬間でした。
近年は、私自身が被災者の皆さまと直接関わる機会も少なくなっていますが、今後とも「地域の方々の気持ちに寄り添う」という思いを常に心に刻み、そしてこの思いを後輩たちに伝えていきたいと考えています。

