活力あるまちづくりまい進
「……これは無理だよ……」。よく訪れていた町が全てなくなり、一面モノクロのがれきに覆われた光景を目にした私の正直な気持ちでした。私は建設コンサルタントの営業職として、震災当時は岩手県を担当していました。物流の甚大なダメージにより入手困難であった燃料(ガソリン)が、社内ネットワークを通じて確保でき、ようやく車での移動が可能となりました。私は弊社技術陣とともに、震災以前より業務で関わりのあった宮古市田老地区へと向かいました。
田老地区には、1933年の昭和三陸津波の翌年から建設が始まり、「万里の長城」と称された高さ10m、総延長約2.4㎞の巨大な防潮堤が町を守り続けていました。正直なところ、田老を通るたびにその完璧とも思える防潮堤の威容に圧倒されていました。しかしながら、東日本大震災の津波は、その「万里の長城」をも軽々と乗り越え、町を飲み込んだのでした。現地はモノクロの世界でしたが、そこに従前生活のあったぬいぐるみや人形、布団などの「色の付いたもの」が点在していることが、より悲愴感を際立たせていました。作業服を着て調査をしているわれわれに対し、地元の方々がゆっくりとお辞儀をしてくださいました。その謝辞とともに、重い任務を託されたのだという思いが込み上げ、身が引き締まったことを今でも覚えています。
宮古市田老を皮切りに、久慈市、野田村、普代村、田野畑村、岩泉町、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市へと、業務を通じて沿岸域の被災地を巡りましたが、どこも正視するに堪えない状況でした。
発災から早期に、そして複数年にわたり、多くの震災復旧・復興業務に携わることができました。特に沿岸域の基幹産業である漁業に不可欠な漁港の整備、津波対策としての防潮堤の整備、そして道路・トンネル・橋梁といったインフラ整備に貢献できたことは、私の誇りです。また、この震災を機に大きな変化を感じたのは、CM(コンストラクション・マネジメント)・CMr(コンストラクション・マネジャー)や発注者支援業務という形態が活用され、発注者側の人員不足解消に寄与できたことです。今後、人員不足が課題となっている官公庁や団体においても、災害時のみならず平時からの活用が拡大していくのではないかと考えています。
さらに、2011年当時はITもまだ普及の初期段階にありました。iPadやタブレット端末は非常に希少で、外出先からPCアドレスでメールを送信するだけで驚かれたものです。現在ではDX(デジタルトランスフォーメーション)の高度化やAI(人工知能)の進化により、業務の内外を問わず、さまざまな場面でデジタル技術が有効活用されるようになりました。
震災により、いずれ起こるであろう南海トラフ地震や首都直下地震などの大規模災害への備えとして、リスク低減を反映したハード面の整備とともに日頃の避難訓練やソフト面での対策がいかに重要であるかを再認識しました。現在は「第3期復興・創生期間」にあります。今後は減災・防災への取り組みに加え、活力あるまちづくりに向けた民間事業の取り組みなどにも携わっていきたいと考えています。

