緑の力を次世代へ
仙台市内での打ち合わせに向かう途中、揺れを感じて車を停めた瞬間、これまで経験したことのない激しい揺れに襲われました。ハンドルを握っていることが精いっぱいで、揺れは数分間にわたり続きました。会社へ引き返すとキャビネットは全て倒れ、足の踏み場もない状況でした。「荒浜地区で200人の遺体が見つかった」とラジオから流れたとき、言葉を失いました。海沿いの製油所の現場で働く社員と携帯がつながらず安否が分からない上、近くで火災が発生しているとの情報も錯綜(さくそう)していました。暗闇の中、不安と責任の重さに押しつぶされそうな一夜を過ごしましたが、社員は高台へ避難しており無事でした。
数日後、福島第1原子力発電所事故が発生し、放射線への不安も広がりました。とっさの判断で、家内の実家がある四国へ家族を避難させました。震災当時、私は代表に就任して間もなく、会社をどう導くか模索していた矢先でした。経営者としての責任と家族を守る思いの間で揺れ続けた日々でした。
関東に住む学生時代の同級生やコンサル時代の仲間、先輩方から安否を気遣う連絡をいただき、「必要なものがあれば送る」と声をかけてもらいました。それをきっかけに支援物資を地元の岩沼や石巻、女川へと運びました。避難所で被災された方々と向き合うのはつらいことでもありましたが、「ありがとう、ありがとね」という言葉に何度も胸を打たれました。
がれきを集積する場所が必要となったため、津波で倒れた海岸林の松の伐採・集積を行うことになり、造園関係団体の主導の下その業務に携わりました。その後、ごみ処理施設が整備され、施設内でのがれき分別、住宅内の水かき、泥出し、公園樹に付着した油の除去など、目の前の課題に向き合いました。
テレビ報道で、岩手県大槌町にある保育園の園長さんが「支援物資はある程度そろってきましたが、花や緑がほしい」と話していました。その言葉に背中を押され、会社にあったチューリップのプランターを支援物資とともに届けました。喜んでもらえたその笑顔を忘れることができず、それ以来、造園に携わる者として何ができるのかを問い続けてきました。
壊滅的被害を受けた石巻市南浜・門脇地区は、犠牲者を追悼し震災の記憶を後世に伝える場として整備され、2021年に石巻南浜津波復興祈念公園として開園しました。地下水位の高い地域であることから盛土や植栽の試験施工に関わりました。
日本造園建設業協会(日造協)の支部長としてこの事業に関わる中で、多くの方々のご支援とご協力をいただき、現在も樹木の育成管理に関する技術支援を行っています。
震災でいただいたご支援への感謝を胸に、27年に横浜で開催される国際園芸博覧会では、東北6県で庭を出展する予定です。復興の歩みと、自然とともに生きる東北の姿を発信したいと考えています。この機会が、若い世代の方々に緑の環境をつくる仕事の魅力を知っていただくきっかけになればと願っています。
東日本大震災から15年、造園という仕事を通して、人の暮らしと地域の未来を支える緑の力を、これからも育て、次の世代へとつないでいきたいと思います。

