何者としてここに立つか
東日本大震災が発生した2011年3月11日、私は東京支社に勤務していました。首都圏では帰宅困難となり、会社に泊まりながらテレビで被災地の状況を知りました。よりどころを見直す契機になったのは、震災から約1年後、三陸沿岸道路の事業促進PPPの一員として岩手県陸前高田市を訪れた際でした。町全体ががれきと砂ぼこりに覆われた光景を前に、建設コンサルタントの技術者として、ここで果たすべき役割と自分の存在意義(アイデンティティー)を強く突きつけられました。現地に入ってから私は釜石市に住みました。最初の約半年は被災の影響が残るホテルで生活し、後に確保されたアパートへ移りました。復興に関わる業務と日常生活が同じ空間で進む中で、地域の時間が少しずつ動いていくことを実感しました。休日に釜石の海岸を歩いていた際、見知らぬ方から会釈を受け、当時の状況を改めて思い知らされる場面がありました。
事業促進PPPは、官民連携で測量・設計・用地取得・工事を並行させ、全体の進捗(しんちょく)を高める手法です。本来、私は橋梁分野の技術者ですが、現地では担当の境界は固定的ではありません。住民説明、関係機関協議、用地取得の進捗、発注計画の立案まで、工程上の遅延要因を把握し、関係者と情報を共有しながら対応しました。官民が連携する枠組みの下で、受注者と発注者という立場の違いは、一つの目標に向き合う中で、次第に前面には出なくなっていったように感じます。
初めてのPPPで、手探りの場面は多くありました。合意形成の遅れで工程が変動する、別事業の進み具合が連動して全体工程に影響するなど、調整項目は多岐にわたりました。画一的な手順では対応しきれない場面があり、その都度、実行可能な対応を積み上げることが、前進につながるのだと学びました。現地従事は2年間でしたが、プロジェクトは着手から約6年で開通に至っています。開通の知らせを受けたとき、長期間にわたる検討と調整が目標としていた開通に結びついたことを確認し、責任を果たしたという感覚がありました。
東京に戻ったのち、現地で得た視点を社内業務に反映しました。事業を進める上で、課題の所在や関係者の役割を整理し、どこに働き掛けるべきかを考える姿勢が重要だと意識するようになりました。図面・数量の整合だけでなく、関係者間の前提や制約といった条件にも並行して対応することが、品質と進捗に寄与します。一昨年から仙台で勤務しており、業務の場などで当時の関係者と再会すると、私のことを覚えていてくださる方がいます。東北での業務に携わり続けていることに、縁を感じています。
震災から15年という節目を迎えるに当たり、あのとき現場を前にして感じた「自分は何者としてここに立つのか」という問いは、今も私のよりどころです。だからこそ、若い技術者には、建設コンサルタントの技術者としてのアイデンティティーを持ってほしいと思います。目的を踏まえて求められていることを捉え、関係者と役割を分け合いながら合意形成と実行を進めていく。その積み重ねが、結果として社会インフラ整備を前に進めます。これを一つのよりどころに、私は引き続き、社会インフラ整備に携わる立場から、この姿勢を保っていきたいと思います。


