【寄稿/賀川昌純(前田建設東北支店束松トンネル作業所所長)/どんな苦労もいとわない誓い】
私が東日本大震災で大きく影響を受けた東北3県の被災地に関わったのは、震災発生後に急ピッチで整備が進められた3本の道路トンネル工事です。最初に赴任したのは、三陸沿岸道路では最長となる岩手県大船渡市と釜石市をつなぐ道路トンネルであり、津波被害から多くの尊い命を救った『命の道』と称された国道45号の内陸側への付け替えを目的に整備が進められた東日本大震災復興道路整備事業の一部を担うものでした。
赴任当初は、報道関係の情報である程度の被害状況を把握していたものの、跡形もなく町全体を飲み込んでいった津波被害の脅威に震えました。その後、工事が始まり、工事説明会やあいさつ回り、発破騒音に対する調査訪問など、地域住民の皆さまとの関わりが多くなっていきました。そんな際、地域の皆さまはいつでも笑顔で対応してくれ、時には漁に出て採ってきた新鮮な魚や貝、三陸わかめなどを土産にいただくなどのもてなしまで受け、いつもありがとうという感謝の言葉までいただきました。
財産や家族、親しい友人を亡くされた方も多く、仮設住宅でのふびんな生活を送られているにもかかわらず、「どうしてあんなに気丈に振る舞っていられるのか?」と、こちらが不安になるほど地域の皆さまはわれわれを明るく迎えてくれました。
そんな被災地で生活される皆さまのために少しでも力になりたいと切に誓い、建設業界に従事する技術者の一員として復興事業に従事してきたことを今でも思い出します。
次に従事したのは福島県の中通りと浜通りをつなぐ2本の道路トンネル工事です。
福島県は宮城県や岩手県と違い、目には見えない放射能汚染という特異な事態から避難している方々が多く、太平洋側の国道6号線沿いには鋼製の柵が進入をふさぐ、物々しい状況でした。福島県では、もてなしの精神が強い県民性もあり、あいさつや聞き取り調査で訪問した際には、まず居間に上がってお茶とお茶菓子をいただくことが礼儀だと教えていただき、集落の全家屋を訪問した後はいつもおなかいっぱいでした。
以上のように、震災復興に携わる技術屋として与えられたトンネル工事に携わりながら地域の皆さまとの関わりが深くなるにつれ、三陸沿岸道路で感じたことと同じように、震災地域で生活される地域住民の皆さまが少しでも早く元の生活を取り戻せるようにしてあげたい、どんな苦労もいとわないという思いが強くなりました。
現在は、能登半島地震で被害を受けた石川県珠洲市において、道路啓開、損壊した河川護岸復旧のほか、地すべり発生の影響を受けて崩落した道路トンネルの仮復旧工事に従事し、約1年半が経過しました。ここでは孤立集落や半年間に2度の大被害発生など、東日本大震災とは別の状況ではありますが、今なお、被災地で活動し心に誓った『どんな苦労もいとわない』という気持ちを強く持って、変わり果てた震災地の早期復興に向けて日々臨んでいる。
