【空白地帯ゼロの体制維持/地域の守り手として認知】
震度7を2度記録し、甚大な被害をもたらした熊本地震から10年が経過した。熊本県建設業協会の前川浩志会長に、当時の災害対応と創造的復興の歩みを振り返ってもらうとともに、インフラ強靱化や持続可能な建設業の在り方について話を聞いた。 =1面参照
--初動対応を振り返って
「当時は未曽有の事態に情報が錯綜(さくそう)し、本部での意思統一や情報整理が難航した。一方で、被害を目の当たりにした現場の各支部の動きは早かった。災害対策本部の設置以前に地域に精通する会員各社が被災状況調査に乗り出したことが初期の混乱を抑える鍵となった」
「自民党県連の前川收会長が国会・県議会議員に『発災後72時間は一切の要望活動を控えるように』と厳命したことも初動対応を成功させる上で効果的だった。おかげで、行政側は混乱することなく、スムーズに初動対応にあたることができた」
--国や県との連携はどうだったか
「当時の森田康夫熊本河川国道事務所長(前九州地方整備局長)と橋口光徳会長は、16日の本震直後から密に連絡を取り合った。翌17日に現地入りしたTEC-FORCE(緊急災害対策派遣隊)と連動し、18日に菊池・阿蘇の両方面から大規模な斜面崩壊が発生した阿蘇村に重機を投入した。阿蘇方面の森光也阿蘇支部長(当時、故人)ら現場リーダー指揮の下、手探りで応急復旧を始めた」
「国と県が立ち上げた『熊本地震等復旧・復興工事情報連絡会議』に3回目から協会が参加し、一緒になって対応に当たった。また、県と共同開発した『災害情報共有システム』を活用し、地元業者が撮影した現地の被害状況を県に素早く共有した」
--同年12月24日には県道熊本高森線俵山トンネルルートが開通した
「国道57号が大規模崩落で寸断される中、阿蘇地域の孤立解消は最優先事項だった。西原村から南阿蘇村までの長さ約10㎞を、実質4カ月に満たない工期で終わらせるため、不眠不休で現場を動かす『ウルトラC』の工事となった。開通した際に子どもたちの笑顔を見られたことがうれしく、今では誇り高い思い出になっている」
--膨大な工事を円滑に進めるためにどのような役割を果たした
「本復旧の段階になると、被害の少なかった天草地域などの遠隔地から人員を呼ぶための移動コストをはじめとする人件費や資材費が高騰する問題が浮上した。協会は、国や県に実態に即した費用計上や設計変更の柔軟な対応、配置技術者の要件緩和、発注の平準化などを要望した。要望は全て採用され、建設業を取り巻く環境改善につながった」
--創造的復興は進んだか
「国道57号が崩落した際の代替路として建設された北側復旧ルートは、本線復旧後も滝室坂トンネルなどとつながることで中九州横断道路の一部を構成することになった。この高速道路網の強化と、それによる空港へのアクセス向上、そして豊富な水資源の3要素がそろったことが、台湾積体電路製造(TSMC)の熊本進出の決め手になったと考えている」
--地域の守り手としての建設業の在り方は
「熊本地震や20年7月豪雨など、立て続けに大規模な災害を経験・対応したことで『どんな災害が起きても必ず対応する』確固たる覚悟を持てるようになった。かつては必ずしも良くなかった建設業のイメージが、災害対応を通じて行政や県民から地域の守り手として認知されるようになった。県民からの評価と高いシビックプライドを感じている」
「県内には、他県で問題となっているような『対応力の空白地帯』がほぼ存在しない。どこにでも、いつでも対応できる体制を維持することが、地域防災における最大のレジリエンスとなる」
