日本土木工業協会(土工協、現日本建設業連合会)の会長で、大成建設社長・会長を務めた葉山莞児(はやま・かんじ)氏が9月11日、逝去した。「旧来のしきたりからの訣別」として脱談合を主導したほか、土工協など土木関係4団体の統合をけん引。現在の建設業界の礎を築いた。
89歳だった。葬儀は近親者で執り行った。香典・供花についても遺族の意向により辞退している。喪主は妻千恵子(ちえこ)さん。「お別れの会」は遺族の意向により、執り行う予定はない。
葉山さんは終戦で満州から引き揚げ、神奈川県で育った。1960年3月東大工学部土木工学科卒業後、同年4月大成建設入社。入社から20年間は現場一筋だった。所長になり、兼務した現場を合わせると20余りの現場に従事した。87年取締役、97年代表取締役副社長を経て、2001年に代表取締役社長に就任。同時に「新経営計画」をスタートさせ、グループの経営体質強化にも取り組んだ。07年から代表取締役会長などを務めた。
葉山さんの業界活動での最大の功績は、主導した「旧来のしきたりからの訣別」いわゆる脱談合と、「土木4団体統合」と言える。1899(明治32)年設立の日本土木組合を源流とする日本土木工業協会が、葉山会長在任時に土木関係3団体(日本鉄道建設業協会、日本電力建設業協会、日本海洋開発建設協会)の統合をけん引、これが2011年4月の日本建設業団体連合会、建築業協会を含めた3団体の合併、新生「日本建設業連合会」誕生につながった。
この新生・日建連誕生から時計の針を6年戻した05年4月、建設業界は四半世紀ぶりの大改正といわれる改正独禁法公布と06年1月からの施行を控えていた。課徴金の引き上げのほか、課徴金減免制度が柱だった。
1カ月後の05年5月から全国9地区で開かれた土工協支部総会。葉山会長は全地区でのあいさつをすべて同じ言葉で締めくくった。「どのような課題が今後あっても、われわれは国民の期待に応え、魅力ある産業づくりを真剣に考えなければならない。そのために、どういう行動をし、またどういうことをやめるのか。このことが厳しく問われている」
この発言から半年後の11月、大手ゼネコン5社トップがコンプライアンス(法令順守)徹底の取り組みで合意する。未発表のこの合意を年末も押し迫った12月28日、一般紙がすっぱ抜く。明けて06年1月5日、年始恒例の建設業関係17団体新春賀詞交歓会。立錐(りっすい)の余地なく会場を埋める1000人を超えているであろう参加者が見つめる中、乾杯の音頭をとるため葉山土工協会長が登壇した。静まりかえった場内に「本当に魅力ある産業を実現するためにコンプライアンス徹底に協力してほしい」と訴え、合意は周知となった。そして、同年4月、“脱談合宣言”の『旧来のしきたりからの訣別』と制度改革提言の『改革姿勢と提言』の発表へとつながった。
自ら望んで土木営業の最前線に身を投じた葉山さんは、土木営業の最前線を「(江戸時代、陰で幕政を支えた)お庭番」と例えたが、葉山体制の土工協が打ち出した談合訣別宣言と制度改革提言は業界構造を180度変えた。例えば、非公式に技術協力を行う公共工事での「事前協力」や「混合入札」である。あいまいなグレーの事前協力をやめたことで、現在は合法的な事実上の事前協力方式である入札方式が大規模工事で一般的になりつつある。また、JVだけでなく単体での応札も認める混合入札が土工協の提言以降、広がった。葉山さんが事実上、退路を絶って進めた「旧来のしきたりからの訣別」の種は現在、多様な入札方式の拡大、混合入札という形ではっきりと芽吹いている。
葉山さんは脱談合の“その後”をずっと気にかけていた。16年夏、筆者の携帯電話に着信があり、「葉山です。変わりないかい」と、聞き慣れた声。近況報告を交わした後、「あれ(脱談合)から10年だね。早いねぇ。会えないかい」。日を改めて会った際、脱談合の経緯や当時のエピソードなどを残したいと提案があり、本人が笑いながら「遺言だよ」という記録が始まった。話者は葉山さんと、脱談合宣言づくりなどを支えた方のお二人。聞き取りは計4回、これとは別にゴルフに興じた時や会食時などを含めると、“遺言”は数十時間に及んだ。
また、葉山さんのゴルフ好きは有名だった。独自に考案した“葉山ルール”の洗礼を多くの方が受けたと思う。腕前は上級者で、大成建設社長・会長や土工協会長を務められていたころまでハンデ7でプレーした。フォロースルーを意識したダイナミックな素振りが特徴的で、同伴競技者としては葉山ルールの結果を、いつも緊張感を持って待ったことが懐かしい。
直接お会いしたのは昨年(25年)2月が最後となった。1月に亡くなった林康雄鉄建建設会長を偲(しの)ぼうとお誘いがあり、会食し献杯した。その席で、春先にクルーズ船での世界一周旅行にご夫婦で出かけるのが楽しみと語っていた。昨年から今年にかけて、2回ほど電話をもらい、業界にまつわる社会ニュースなどについて忌憚(きたん)のない意見交換をさせていただいた。ものに動じない、泰然としたたたずまいと落ち着いた口調が忘れられない。合掌
葉山氏の訃報を受け、各方面からコメントが寄せられた。
◆大成建設社長の相川善郎氏
葉山莞児元社長のご逝去の報に接し、深い惜別の念に堪えません。葉山氏は、当社の社長・会長として、経営基盤の強化と当社グループの発展に尽力されるとともに、建設業界の発展にも多大な貢献をされました。長年にわたり当社を導かれたご功績に、改めて深い敬意と感謝を表します。ご遺族の皆さまに心よりお悔やみ申し上げ、謹んで哀悼の意を表します。
◆元日本鉄道建設業協会会長の山本卓朗氏
葉山莞児さんの突然の訃報に接し、若いときから何かと声をかけていただいた先輩の温かさが彷彿(ほうふつ)として心によみがえってきました。万感をこめて葉山先輩のご冥福をお祈り申し上げます。
私が国鉄勤務、葉山先輩が建設会社という関係でしたから、仕事関係ではお互いに気をつけなくてはいけない間柄でしたけど、今思い出しても最初から最後まで、工事の話は一切なしで、いつもこれからのわが国のインフラ整備や建設界の将来の話ばかりしていたことを思い出します。ただ一つだけ、葉山さんの揺るぎない決断の下、私も参画して、まさに真剣勝負で取り組んだ話をさせていただきます。
もうあれから20年になりましたが、2006年に建設業界挙げて取り組んだ、日本土木工業協会(当時)の「談合決別宣言」です。それ以降、今日まで、苦衷のダンピングの時代を経ながらも、公共工事の受発注システムが確実に改善されてきたことを、葉山さんへの思い出とともに、誇りを持って心に刻んでいくつもりです。
葉山莞児さん、懐かしい数々のご指導まことにありがとうございました。
安らかにお休みくださいますよう。
合掌
◆竹中土木取締役会長の竹中康一氏
大成建設の社長、会長および日本土木工業協会の会長を務められた葉山莞児さんの逝去の報に接し、心より哀悼の意を表します。
建設業界発展のために葉山さんと共に歩んだ2000年代から10年代は、公共投資の縮減の長期化、リーマン・ショックなど、景気後退が深刻化する冬の時代を迎えていました。
そのような時代の中で、旧土木4団体を合併し、新生・土工協の発足に尽力し、その道しるべとして「発足趣意書」を起草され、建設業界が「くらしを支え、未来を拓く」国民の負託に応えていく姿勢を示されたことは、今も私たちの心に刻まれています。
また、葉山さんは飾らない人柄で、国土交通省との意見交換会では出席者に自ら発言を求めるなど、常に緊張感があり、有意義な会議であったと記憶しています。葉山さんの業界活動に対するご功績に深く敬意を表すると共に、心からご冥福をお祈り申し上げます。
