入社15年、足元支えるを誇りに
ボランティアに参加した際の作業風景 [/caption]>
2011年3月。自由奔放に過ごしてきた高校生活を終え、4月から新生活。人生初の1人暮らしに緊張と不安とワクワク感が入り混じる気分の中、私は来るべき入社式を待ちわびていました。そして迎えた3月11日、東北の地が未曽有の大災害に襲われました。
震災当日、私は地元である山形県で過ごしていました。建屋の破損はもちろんのこと、水道、電気、ガスの供給が絶たれた地域もありました。しかし、4月から配属予定だった当社の宮城工場が拠点としている多賀城市に至っては、言葉で表現できないほどの惨劇に見舞われていました。準工業地帯にある私の職場は津波の被害をもろにくらい、被害は言わずもがな、全てを無に帰す脅威であり、津波が引いた後の状況は『絶望』そのものでした。震災直後の工場復旧活動に尽力した私の上司は当時の状況をこう語ってくれました。
「普段どおりなら車が行き来する音がするし、周りにはさまざまな会社があって意識しなくても存在を感じる。けど、がれきの片付けをしているときにふと顔を上げると、不気味なくらいにきれいな夕焼けがあって、そして周囲から聞こえてくる音は何一つ感じない。世界に自分一人しかいないのではないか、そう思わせられた瞬間だったよ」
震災復興の肝となる『道路の復旧』は早急に求められており、アスファルト乳剤や改質アスファルトの製造・出荷を行っている当社は工場再稼働に向けて最善を尽くしました。そのかいがあり6カ月後には製品の出荷を再開し、それからしばらくは怒涛(どとう)の日々を過ごしました。
私自身も未熟ながらがむしゃらに働き、一般道や高速道路をはじめ、特に被害の大きかった沿岸部の三陸道復旧工事など、数年を経て多大な貢献ができたと、仕事をしていく中で強く感じることができました。当社にはさまざまな職種があり、私自身は製品の製造・出荷を担当していますが、地域に住んでいる方々の『生の声』を聴く機会がほとんどないというのが現状でした。
震災復興も落ち着いてきた19年秋、台風19号が上陸し、宮城県内では豪雨被害による被災地域が多々ありました。そんな中、当時の上司からの提案でボランティア活動に参加する機会があり、工場職員総出で被災地域にある民家の泥のかき出し作業を担当することになりました。かき出し作業をしていると家主の方から「汚れ仕事をさせてしまって申し訳ないね。でも、1人ではこんなにたくさんの泥はかき出せなかったよ。本当にありがとうね」と。私が「とんでもないです。力仕事は僕たちに任せてください!」と返すと、「今日も助けられているけど、大震災の時もあなたたちのおかげでこの周辺のみんなが救われたのよ。感謝してもしきれないわね」と、心身共につらい状況下であるにもかかわらず、優しく微笑んでくれました。その顔を目にした瞬間、胸に熱くなるものを感じて、今まで聞けなかった言葉を聞けたような気がして。この日に感じた思いは今も自身の仕事のモチベーションであり、やりがいに深くつながる出来事となりました。
大きな爪痕を残した大震災ですが、これから先も『災害との遭遇』は大なり小なり避けて通れるものではありません。私はこの15年間の経験で得られた『教訓』を、そして、これから先の未来で感じていくであろうさまざまな「思い」を、今後の人生の糧とし「人々の生活を足元から支える」仕事に誇りをもって歩んでいこうと思います。
