寄り添い守るを生涯続ける
私は東北支店工事部長として、2014年から4年間、三陸沿岸道路(宮城県南三陸町など)の新設舗装工事に携わりました。岩手県大船渡市内にあった当社の営業所も津波で被災し、多くの関係者やご家族が犠牲となられました。「公共施設や道路が立派に再建されても、被災された方々の心の傷が癒えることはない」。その痛切な思いを胸に、私たちは復興事業に向き合ってきました。道をつくるだけで人の心まで癒やすことはかないませんが、それでも私たちは道を通じて、この地域とつながり続けたいと考えています。
当時を振り返り、特に心に残っているのは、南三陸町の少し奥まった場所にあった1軒の食堂です。震災直後から多くのボランティアを受け入れ、地域に尽力された女将(おかみ)さんが切り盛りされていました。女将さんが語ってくださる震災時の光景は、どれも壮絶で胸を締め付けられるものばかりでした。想像を絶する苦しみに触れるたび、私自身も深い悲しみに包まれたことを覚えています。
ある冬の寒い日、町営魚市場の復興イベントに職員と出向くと、そこには「はっと汁」の屋台を出す女将さんの姿がありました。私たちに気付いた女将さんは「常連さん!」と声を掛け、熱い一杯を振る舞ってくださいました。凍えるような海風の中で味わったその味は、冷え切った体だけでなく、私たちの心まで温めてくれました。それは、女将さんが私たち工事関係者を「共に復興を目指す仲間」として認めてくださった、絆を感じた瞬間でもありました。あの時の感動と喜びは、今も鮮明に胸に残っています。
震災から15年の月日がたちました。被災された方々の思いを忘れないよう、私は毎年11月、妻とともに千葉の自宅から南三陸町を訪れています。自ら施工に携わった三陸沿岸道路を走る際、職業柄つい路面状況を確認し「走行性よし」と口にしている自分がいます。それと同時に、厳しい寒さや資材不足の中で現場を完遂させた当時の職員たちの苦労がよみがえり、自然と熱いものがこみ上げてくることもあります。
道中、地域貢献に尽力された志津川湾沿いのホテルに宿泊し、美しい景色と海の幸を堪能するのが毎年の楽しみです。翌日は、少しでも経済的な力になればと地元の商店で買い物をし、帰路に就きます。しかし、年々観光客が減っているように感じられるのが、現在の気がかりです。
この15年で、被災地の復興は目に見えて進みました。今後は建設された公共インフラの維持・更新も重要な局面を迎えます。現在、私は本社で全社を統括する立場にありますが、東北に強いネットワークを持つ建設会社として、被災者の方々の思いに寄り添い、地域を守り続けていくことが当社の使命であると確信しています。この決意は、私自身の生涯のライフワークです。
東日本大震災から力強く立ち上がり、未来へ進む東北の皆さまは、真に強靱な心を持っておられます。私はこれからも、何年たとうとも東北へ向けて「がんばろう東北」というエールを、声を大にして送り続けてまいります。

