過去から学び未来に伝える
東日本大震災では、専門技術者として自治体担当者や被災した方々と共に、現場での作業に明け暮れました。発災前から建築実務には関わっていましたが、災害科学や復興に関しては専門ではなかったものの、いきなり最前線の塹壕(ざんごう)に詰め込まれて、さまざまな場所で復興に関わる生活を10年ほど送りました。最初の復興作業は、震災で大きな被害を受けた東北大学大学院工学研究科のキャンパスの5月1日の開講に向けての再生でした。1カ月にも満たない期間で、五つの大きな学系のうち、本棟が使用不能になった三つを比較的被害の少なかった二つ+αに移転、再出発するのは至難の業でしたが、多くの先生方の献身的貢献によってなんとか乗り切りました。この時に、意思決定者と目標の共有、信頼に基づいた関係者との連携、残存する機能の適切な評価、科学的データを活用可能な形に整えること、といった基礎作業の重要性を実感しました。大学の方向性がなんとか見えてきたので、被害が大きな基礎自治体への支援に乗り出します。都市計画(姥浦道生)、土木(平野勝也)といった、後に東北大学災害科学国際研究所復興実践学分野の同僚となる方々と宮城県石巻市の復興に関わるとともに、全国やロサンゼルス在住の建築家が結成した支援ネットワーク、Archi-Aidと連携し、石巻市牡鹿半島、宮城県七ヶ浜町、岩手県釜石市などの復興における建築家の実効的関与に奔走しました(復興の全体像については『復興を実装する』〈鹿島出版会〉にまとめましたので興味のある方はぜひ)。
いろいろなことがありましたが、発災直後に教えを乞うた塩崎賢明先生(神戸大学名誉教授)の言葉、「災害は個別なので、自ら考え行動することが基本。過去の知見についても批評的であるべき」が今でも忘れられません。「絆」や「寄り添い」といった感情に訴える言葉が優位な中、大きな衝撃を受けました。もちろん、先生からはその後、阪神・淡路大震災の経験を基に書かれた、来るべき長い時間の事象を考えるためのメモが送られてきて、指針とさせていただきました。
現在、東日本大震災の被災地の多くでは物理的な復興は完了していますが、原発被害を受けた福島県では、まだまだ難しい活動が続いています。また、前者でも多くが人口減に苦しみながらも、地域の産業を保持するためのさまざまな試みが継続中です。私がお世話になった復興の最前線にいた人たちの次の世代が面白い活動を展開してくれています。
私自身、最近は、能登半島地震の復興に多くの時間を割いています。日本の国力の相対的低下、官民連携経験の蓄積、東日本大震災以上に高齢化が進んだ人口構成と東日本大震災とはその風景は大きく変わっています。一方で、古代から蓄積された豊かな文化と自然、それを守る誇り高い人たちとそれを再生産する祭りの巧みな仕組みなど、新たな知見に満ちています。過剰な感情の発露を排しつつ過去から謙虚に学び、科学的知見を活用しながら柔軟に伴走し続けたいと思います。
復興に求められる能力を持った人的資源をフラットにつなぎ、過去から蓄積された科学的知見を共有するプラットフォームとして、私が所属する日本建築学会には多くの可能性があるとも感じています。もちろん謙虚さを忘れずに。

