福島で知ったふるさとの意味
2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生し、当時、私は東京の本社に勤務しており、大きな揺れとともに書棚の書類、書籍が崩れ落ち、帰宅難民となり翌日に帰宅しました。そして、福島第1原子力発電所の水素爆発が発生したことをニュースで聞き、放射性物質が大気に放出され、この先、この地域がどうなっていくのか不安を感じました。一方、妻の母の実家は福島県南相馬市小高区にあり、母の兄弟姉妹とも連絡が取れず、無事が確認できたのは震災発生から約1週間後であったと記憶しています。当該区域は福島第1原子力発電所の事故により避難指示区域に設定され、警戒区域となりました。その後、安全で安心して暮らせる環境を取り戻すために除染が実施されました。
私は会社で原子力関連の仕事をしていたこともあり、11年11月の除染モデル実証事業から、除染や災害廃棄物処理等の業務に本社から携わることとなりました。また、偶然にも当社は主に南相馬市を中心に除染や災害廃棄物処理を行っていました。
その後、妻の母が亡くなり、葬儀には妻の母の姉妹や親戚も福島の避難所から駆けつけてくれました。顔を合わせたのは、私の結婚式以来のことでした。その時に、義母の妹が「今、除染をしているから、終わったら家に帰れる。避難所は疲れるよ」と言っていたことを覚えています。その後、除染が終わり、16年7月に南相馬市小高区の避難指示が解除されました。解除されると、義母の妹が当社の南相馬市の事務所に来られ、「除染してくれて、ありがとうございました。おかげで家に帰れます。」と職員にお礼の言葉を伝えてくださったと連絡をいただきました。たった一つの感謝の言葉でしたが、私はうれしく思うとともに、このことを妻に報告しました。
それから年月が過ぎ、22年に私は当社連結子会社である福島エコクリート(福島県南相馬市)へ出向することとなり、24年から社長となりました。福島エコクリートは、福島県イノベーション・コースト構想の一環として、浜通りの雇用創出、復興事業への土木資材の供給、そして福島県内の石炭灰リサイクルを目的に設立された会社です。これも何かの運命だと感じています。福島エコクリートの多くの社員は相双地区の出身者であり、福島第1原子力発電所事故で避難し、地元に帰還してきた方々です。そして今、その社員と出会い、私自身も福島での仕事を通じて、「ふるさと」という言葉の重みを深く感じています。震災で一度は離れざるを得なかった土地に、再び明かりがともり、人々が生活を取り戻していく姿を見るたびに、ふるさととは単なる場所ではなく、思い出や家族の歴史、そしてそこで生きてきた人々の願いが積み重なった“心のよりどころ”なのだと実感しています。震災から今年で15年、多くの地区で復旧が終わり、復興の時期を迎えましたが、一部の地域ではいまだ除染作業が行われています。果たして、この復興に終わりがあるのかと自問自答しつつ、福島の豊かな自然と地域の方々の暮らしを守りながら地域に根付いた活動を続け、地元の発展と次世代への貢献を最優先にまい進してまいります。ふるさとの再生と未来づくりに携われることを誇りに、これからも努力を重ねていきます。

