寄り添い続けて恩返し
2011年3月11日。仙台港で測量の立ち会いを終え、会社へ戻る途中、突然、体を揺さぶる激しい揺れに襲われました。乗っていた仙石線の列車は地下区間で止まり、暗い車内で不安と戦いながら過ごした約1時間。会社に戻ると、書類などあらゆるものが散乱し、見慣れた日常が一変していました。そして、直前までいた仙台港周辺が2階相当まで津波が押し寄せたと知り、その時の言葉にならない感情は今も忘れられません。当時、私は主に東北で土地区画整理事業に携わっていて、事業は終盤を迎えていた頃でした。この仕事を通じた縁で、被災地の方々に「助けてほしい」「力を貸してほしい」という声をもらいながらも、復旧の初期対応や既存業務に追われ駆け付けられない日々。積み重なるもどかしさと悔しさが、私の中で復興に向き合う決意を固くしました。
本格的に現地に入ることができたのは14年。復興に関わる当社の石巻事務所の所長となってからです。被災者の新たな住まいとなる地区の整備、インフラの再構築、災害危険区域での土地利用再編など、復興土地区画整理事業はどれも時間との戦いで険しい道のりでした。その中で強く意識したのが対話です。
地域で生きてきた人の声には、土地の歴史や風習、記憶や痛みが宿っています。被災による混乱の中、外から持ち込んだ考えだけでは気持ちは動かない。住民と向き合い、言葉に耳を傾け続けたことで、前向きな復興への議論が始まりました。そして、この“寄り添う姿勢”が復興に欠かせないと実感していきました。
忘れられない出来事があります。震災前、ある地区の土地区画整理事業で地域貢献できる施設の相談を受け、公園に耐震性貯水槽を導入いただきました。後に、その貯水槽の水が震災で住民の命を支えたと聞き、「あの時の提案が誰かの助けになった」と胸が熱くなり、仕事への誇りや責任感がより強いものとなりました。
私は、石巻市で4地域の土地区画整理事業に関わらせていただきました。新たな憩いの場となるまちづくり、船の見える築山公園、春を告げる河津桜、かつての暮らしの記憶を受け継ぐ銀杏の木。地域の記憶と住民の思いを景観に織り込み、その土地らしさを未来に残す仕事ができたのは、私自身の財産でもあります。
震災から15年がたち、次の世代に渡すものは写真や図面だけでなく、歴史や教訓、人の言葉であり、それが「まちづくり」の本質なのではないかと感じています。
私が関わった事業は、23年ごろ一つの区切りを迎えました。本来なら1地区で10年以上かかる事業を短期間で走り抜けることができたのは、全ての方々の努力の積み重ねにほかなりません。区切りを迎えた時、皆さんへの感謝や達成感と同時に、燃え尽きたような空虚感も抱えていました。
ですが、まちづくりは完成して終わりではありません。むしろ、そこから営みが始まります。復旧・復興で整備したインフラをどう守り、維持するかという課題も出てくるかもしれません。
それでも私は、これからも「地域の声を聴き、寄り添い続けたい」
被災した経験と復興の過程で学んだ教訓を、未来のまちづくりに生かしたい。
それが、出会った皆さんへの恩返しだと思って。

