【縄文の遺跡公園】町田市の高ヶ坂石器時代遺跡で遺構復元・周辺整備 2020年公開へ | 建設通信新聞Digital

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【縄文の遺跡公園】町田市の高ヶ坂石器時代遺跡で遺構復元・周辺整備 2020年公開へ

 いまから93年前、日本で初めて敷石住居跡が発見された高ヶ坂(こうがさか)石器時代遺跡。それまでの竪穴式以外の住居跡の構造研究が始まったことで、学術的に重要な意味を持つ。「高ヶ坂石器時代遺跡公園整備」プロジェクトを進める東京都町田市は、遺構の復元や周辺整備によって、縄文文化に触れることができる場として、遺跡を活用する考えだ。

八幡平遺跡の完成イメージ

 高ヶ坂石器時代遺跡は、牢場(ろうば)遺跡、稲荷山(いなりやま)遺跡、八幡平(はちまんだいら)遺跡の3つからなる縄文時代の集落跡。
 1925(大正14)年、調査中の牢場遺跡で、石を敷き詰めた遺構が見つかった。「敷石住居跡」の発見第1号として国の史跡に指定され、住居構造の研究の貴重な事例となる。史跡指定当時は民有地だったが、文化庁や東京都と協議を重ね、公有地化した。

牢場遺跡の遺構を保護する覆屋

 牢場遺跡は、5×3.8mの不整楕円形の平面形態を持つ。出入り口部分は消失していたが、中央部分の炉や外周に柱穴が見つかったことから、住居だったと推測できる。復元に際して、レプリカの石を使った八幡平遺跡と稲荷山遺跡に対し、牢場遺跡だけが石器時代当時の本物の石を展示しているのが特徴だ。復元はまず、敷石住居跡の壁を固めていたコンクリートを取り除いた。周りの土は乾燥して砂状に変化していたため、関東ローム土、岩瀬砂、塩砂、消石灰を練り合わせたものを盛り付けた後でたたき締め、厚みを3cmに仕上げた。施工は東京綜合造園(町田市)が担当。整備は、フェンスの設置や芝生の植生など、2020年度の公開に向けて大詰めを迎える。
 また、愛川建設(同)の施工で、遺構を保護する覆屋を新しく建設した。内部が見づらい原因だった鉄格子を取り除き、覆屋の南・東・北の三方をガラス張りにした。
 牢場遺跡は、遺構以外にも戸建て住宅がエリア内にある。国の史跡に指定されているため、建て替えや売買には、現状変更の許可など制限が付いてしまう。このような地権者の課題解消に向けて、市は18-19年度で土地の買収を進める。
 八幡平遺跡は約3000㎡と、高ヶ坂石器時代遺跡の中で最も広い。牢場・稲荷山遺跡と谷を隔てた台地の上に位置する。レプリカの石を使い、縄文時代中期末の敷石住居跡を復元、17年度に完了した。18年度から、東京綜合造園の施工で、園路・スロープ、フェンス、説明板設置や植栽に着手する。休憩所となる四阿(あずまや)建設工事は、今夏以降に公告する予定だ。公開は19年度になる。

稲荷山遺跡

 稲荷山遺跡は、牢場遺跡に隣接し、16年度に整備が完了。住居跡を示す形跡がなかったため「配石遺構」と呼ばれる。発見した遺構は保護の観点から埋め戻し、6.6×4.2mの範囲に、相模川水系の石を敷き詰めて再現した。東京綜合造園が、京王相模原線多摩境駅近くの田端遺跡のストーンサークル再現で実績のある企業と施工した。
 市は遺跡公園整備事業のほかに、芹ヶ谷公園の一角にガイダンス施設の建設も検討する。

高ヶ坂石器時代遺跡・芹ヶ谷公園周辺図

 遺跡公園としてリニューアルする“高ヶ坂の顔”は、いまから約4200年前の人々の生活に触れる場や、訪れる人の憩いの場として期待される。

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