10月14日、新橋~横浜駅間の鉄道開業から150年を迎える。これを記念し、昭和女子大の田村圭介教授と同大環境デザイン学科建築・インテリアデザインコースの18人が、現在の横浜駅を50分の1に尺した全長約10mもの巨大模型を制作した。14-16日の3日間、横浜市のランドマークプラザで初公開する。“匿名的建築”を可視化することで、その価値を知ってもらいたいという思いから模型制作がスタートした。
◆匿名的建築を可視化、150年の変遷共有
現在の横浜駅はJR東日本、東急電鉄、横浜高速鉄道、京浜急行電鉄、相模鉄道、横浜市交通局の計6社局が乗り入れ、12面のプラットホームを持つ巨大ターミナルだ。
その横浜駅は当初、一面のプラットホームから始まった。米国人建築家R・P・ブリジェンスの設計により1872年、現在の桜木町駅に誕生。木骨石張りの西洋建築が2棟並ぶ、シンボル性のある駅だった。初代新橋駅もブリジェンスが設計しており、両駅はうり二つだった。
1915年の2代目は現横浜市営地下鉄ブルーライン高島町駅付近に移転する。田村教授は「東京駅に引けを取らない非常に美しい赤レンガの洋式建築だった」と評価する。また、「東京駅は横浜駅の約40年後にできており、新参者だ。横浜駅は最初の駅という自負があったはず。当時の横浜駅は東京駅と競っていたと思う」と話す。
しかし、23年の関東大震災で焼失してしまう。田村教授は「シンボル性と自負性が失われた」と大震災を横浜駅の転換点とみる。一方で、「この出来事があったからこそ、3代目の横浜駅は洋風建築の呪縛から解き放たれた。日本最初の駅という束縛からも開放され、自由に増殖できた。もし地震がなかったら、いまのような発展はなかったかもしれない」と想像する。
28年には、現位置に重厚な造りの3代目横浜駅が開業する。その後、「64年の東京オリンピック前ごろに現在の駅の祖型が生まれ、徐々に背の高いビルが立ち始める。増殖を続け、80年には4代目に当たる横浜ターミナルビルが完成し、いまの形へとつながっていく」(田村教授)。
田村教授は初代と現在の横浜駅を比較して、「異なる時代にまったく違う場所にあったが、“横浜駅”という名前で結びついているのはとても面白い」と語る。続けて、「昔の横浜駅は別の場所にあったから横浜駅ではないと考える人もいる。しかし、連続して一つのものと理解し、あの時の横浜駅があったからいまの横浜駅があると考えれば、150年かけて日本人が築き上げてきた文化・文明が見えてくる」
◆模型制作に試行錯誤 図面に忠実に組上げ
50分の1という巨大駅模型をつくったのは今回が初めてで、制作には苦労があった。試行錯誤する中で、実寸台の図面作成を考案する。この図面を型紙として材料となる15mm角の木材をカットし組み合わせることで、誰がやっても同じようにでき、図面に忠実に制作できた。全員で協力しながら約2カ月で組み上げた。
リーダーの甲斐有紗さん(3年生)は「駅に興味がある人だけでなく、誰もが楽しめる展示になっている。たくさんの人に見に来てほしい」、井村優果さん(2年生)は「展示の仕方にも注目してほしい」、城川香さん(2年生)は「50分の1に縮尺した初代の駅舎も展示するので比べて見てほしい」と紹介する。
模型制作を通じ学んだこともあったという。千葉優生さん(1年)は「建築に携わる上で、地形や歴史含めまち全体を見ることの大切さを知った」、梅田萌衣さん(2年生)は「次にやるべきことを見越しながら作業することの重要性を学んだ」と話す。
会場には縮尺50分の1の初代と現在の駅模型に加え、六つの時代の縮尺200分の1の模型を展示することで横浜駅の変遷がひと目で分かるようにする。ランドマークプラザ以外にも、10月21-23日の3日間はJR横浜駅構内待合広場で、11月には同大文化祭でも展示する。入場は無料。会場では駅舎の変遷を紹介する冊子も販売する。
【公式ブログ】ほかの記事はこちらから
建設通信新聞電子版購読をご希望の方はこちら