必ず鉄路をつなげる
2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災発生。未曽有の大災害から15年が経過しました。見慣れた真っすぐな線路がねじれ、ゆがみ、路盤が陥没。目の前の惨状にただただ、呆然としてしまったことが思い出されます。私が東鉄工業水戸支店水戸出張所に所長として勤務し8カ月目でした。突然襲った激しい揺れに事務所内は書類などが散乱し、足の踏み場もないような状況にありました。発災時、所員たちは家族や仲間の安否に加え、今後のことが心配であったと思いますが、誰一人として動揺する姿も見せずに線路メンテナンスのプロとして復旧に当たっていました。社員の中には、特に被害が大きかった岩手県陸前高田市や水沢市の出身者もいたため、まずは実家に戻ってご両親やご家族を安心させるよう促しました。しかしながら、「皆が頑張っているのに自分だけ帰ることはできません」と頑なに拒まれました。それでも「復旧はこれからだから、家族に一目元気な顔を見せ安心させて、帰ってきてから頑張ってくれ」と説得し、ようやく家族の元へと送り出しました。発災翌日から被害状況の調査、作業員と機械(BH、軌陸車など)の確保、復旧計画や大型機械(MTT、SMTT)の運用計画の策定、機械燃料(ガソリン、軽油)の手配などの仕事に奔走しました。復旧工事を進める上で、協力会社と苦楽を共にすることでお互いに理解しながら信頼関係も築くことができたと思います。若手社員も責任を持って対応することによって、日々達成感を感じ、自信に満ちた姿に変貌していく様子を見ることができました。
その後、被害箇所ごとに施工方法を日々検討し復旧作業を進め、特に被害が甚大な箇所の復旧においては、3交代制を敷き、昼夜を問わず作業を継続することで、茨城県エリアでは何とか所定の期日までに作業を終了させ、鉄道の運転再開にこぎつけました。
一方、福島県エリアでは福島第1原発事故の影響もあり復旧作業が一時中断。疲労と不安と心配が重なった状態であり、屋外で作業することへの抵抗感が強かったのも事実で悩みましたが、正確な情報を伝えることと、鉄道沿線の方からの「ご苦労さまです。早く開通するといいですね。頑張ってください」など、温かい言葉をかけられ、私自身も率先して現場に出向くことで徐々に心も緩和され一念発起し復旧作業を継続できました。そして発災から1カ月後の4月11日、常磐線いわき駅までの復旧作業が完了し運転再開することができました。
その後、常磐線いわき以北の復旧を前任者から引き継ぎ、高線量区間での除染やマクラギと道床の交換をメインとした復旧作業に当たりました。この地域の復旧では、酷暑期でも防護服やマスクを着用して行う作業で、体力を消耗させ、熱中症リスクが極めて高い想像を絶する過酷な環境でしたが、現場従事者の「必ず復旧し、鉄路をつなげる」という熱い思いが復旧を後押ししたのだろうと思います。大震災の復旧に関わった全ての人々の献身的な努力が実を結び、20年3月14日、常磐線は全線開通の日を迎えることができました。
未曽有の大災害で多くの人が多くのものを失った一方で、復旧に関わった全ての人々の「必ず復旧するんだ」という強い使命感の下、昼夜を問わず取り組めたことは、私にとって大きな財産であり、同時に素晴らしい人々に出会えたことに、今は感謝の気持ちでいっぱいです。このような未曽有の震災は二度と経験はしたくはないですが、私たちの仕事は鉄道の安全・安定輸送を支える一役を担っていることを強く意識する機会になったと思います。震災を経験していないこれからの時代を支えていく方々も、日常の業務において淡々と仕事をするだけではなく「自分を信じ」「仲間を信じ」仕事の内容を理解し常に最悪の状態とならないために「何をすべきか」最善を尽くすスキルを磨いてほしいと思います。

