連載・建設アトリエ探訪(1) | 建設通信新聞Digital

10月11日 土曜日

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連載・建設アトリエ探訪(1)

【若い世代に楽しさ伝えたい/井上久実設計室/大阪市/井上久実さん】
 井上久実さんは、かつて日本建築家協会(JIA)で初の女性支部長も務めた、女性建築士の草分けでもある。井上さんが社会に出たのは、1990年3月。86年に男女雇用機会均等法が施行され、職場での男女平等がようやく進み始めた時代だ。大学時代の授業で非常勤講師だった出江寛氏の教えを受けたことをきっかけに、「建築設計を仕事にする」と明確に意識した。
 就職先として選択したのは大手ゼネコン。「一番処遇が良く、働きやすそう」と感じた会社に入社を果たした。「大きな建物を設計したい」という大志を抱いて入ったものの、待遇は「一般職の社員」で、同期の4大卒男子よりも給与は低く抑えられた。男性と同じ総合職になるまでにその後4年かかった。
 入社して「2人目の師」に出会った。当時直属の上司だったFさん。厳しくも目の行き届いた指導のおかげで「何事にもきちんと、正確に、素早く対応する術」をこの時に身に付けた。バブルがはじける前で、猛烈に仕事をこなした。「始発電車に乗り、終電で家路につく毎日。でも自分の設計した建物が出来上がるのは楽しかった」。
 転機が訪れたのは98年。約9年勤めた会社を退職した。退職の翌日、職場結婚した夫を追って、その留学先であるロンドンに移り住む。帰国して2000年1月、事務所を開設。夫の実家があった場所に、住宅兼事務所を構えた。
 コロナ禍以降は仕事のスタイルも変わった。「残業ゼロ」を実践し、スタッフにも「自分磨きの時間を大切にしてほしい」と常々話している。「良い建築をつくるには、設計者も豊かな生活を送らないと」
 現在58歳。「建築設計は仕事というより、もはや生活の一部かも」と話す。建築設計の仕事をやりたいと思う若い人が減っていると感じている。「事務所のスタッフを探すのも大変。でも私自身、こんなに楽しい仕事をやめようと思ったことがないので、この楽しさを若い世代に伝えていきたい」と笑顔を見せる。

 かつては不夜城とも言われた設計事務所。そこで働く人たちは皆、建築への熱い思いをそのままに、時に不眠不休で仕事に取り組むのが当たり前だった。だが時代は変わり、長時間労働が許されなくなった今、そこで働く人たちは何を考え、何を思うのか。とりわけアトリエ=中小建築設計事務所では、そこで働く若い人の数が減っているという話も聞く。そうした設計事務所の主宰者たちを訪ね、話を聞いた。8回の連載で紹介する。