まだ続く福島の復興事業
2011年3月11日14時46分、川崎市麻生区にあるアジア航測新百合ヶ丘の本社ビル8階で立ち話をしていた私は、「あれ地震かな」程度の意識で話を続けていましたが、揺れは1分以上続き、次第に強くなってついにはその場にしゃがみこんでしまいました。
ただちに弊社では当時の大槻(幸一郎)社長を本部長とする災害対策本部を立ち上げ、社員の安否確認をした後に飛行機の現状を把握し、協力機体を手配して、翌日朝一番の離陸に向けた飛行コースなどの飛行計画を策定。12日未明には長野県北部で大規模な地震が発生したのを受けて、こちらについてもプランBを設定しました。調布飛行場などを翌朝一番に離陸した飛行機は全機東北の海岸線エリアへ直行し、災害状況を撮影しました。また、結果的に一部天候の悪かった地域では、その担当機体は長野県北部地方へ急行し、撮影に成功しました。
翌日から朝夕定期的に対策本部会議を開催し、国、県や市町村、電力などからの要請を一元管理し、適時的確に判断して、「できませんとは言いません」を基本として営業技術一体となった対応を行いました。その結果、測量・調査・計画・設計・施工監理をはじめ1000件にも上る復旧復興業務を国・県や50以上の市町村などからいただきました。これらの業務対応はこの15年間でほぼ完了し、主要な事業については東日本大震災10周年特集編「ともに歩む」にとりまとめています。また、震災後10年間で弊社が被災した各地域を空から撮影してきた写真は復興庁ホームページの「空から見る復興」のページに掲載されています。
一方で、福島県における東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う放射性物質により汚染された地域では、除染や復興がまだまだ道半ばです。弊社では、11年秋から現地でスクレーパープレートによる土壌調査をはじめ、さまざまな資機材を導入し本格的に放射性物質対策調査を開始しました。11年12月頃には上空の放射線量が低下したため、どこの航測会社よりも早く、福島第一原子力発電所とその周辺で航空レーザー測量を行いました。そして、12年1月に放射性物質汚染対処特措法が完全施行されたことに伴い、12年5月には福島市に環境再生支援室を創設して除染関連業務を本格的に開始しました。
あれから15年。12年から継続されてきた除染事業はスキームが変わり、21年8月に示された政府方針に基づき、20年代をかけて帰還意向のある住民が帰還できるよう、帰還困難区域内の必要な箇所(特定帰還居住区域)の除染を進めています。弊社では22年から帰還意向の確認調査のほか、除染対象地の所有者への除染計画書の説明と同意取得、除染工事により発生した汚染土壌を仮置きする仮置場の維持管理業務、除染の効果が継続しているか確認するための事後モニタリング業務などに携わっています。
震災直後から放射性物質の調査に携わってきた、東北インフラ技術部の久留景吾技術部長いわく、「避難されている住民の方は、15年たってようやく除染が始まっており、帰還への悩みや複雑な思い、事業への不満を持たれている方が少なくありません。弊社では、住民の方へ思いを寄せ、常に寄り添いながら、除染事業を丁寧に着実に進めて行く所存です」
