耐震岸壁が海上啓開のカギに
私が福島県いわき市小名浜に赴任したのは1996年のことでした。15年目の2011年に東日本大震災を経験し、26年でちょうど30年となりました。震災以前より、5・6号ふ頭や第二沖防波堤の築造工事など、小名浜港の建設に深く携わってきました。その間にいわき市で家庭を築き、子供を授かりました。仕事柄、家を空けることも多かったのですが、自宅から通える現場に配属された時の喜びは今でも忘れられません。震災当日、私は神戸港の六甲アイランドの現場におりました。陸地にいながら船に乗っているかのような長い揺れを感じ、情報を確認すると、宮城県名取市を襲う黒い津波の映像が流れていました。自宅は小名浜港の近くで海に近く高台でもありません。家族と必死に連絡を取ろうとしましたが通信がつながらず、ようやく午後11時ごろに「家族全員無事。避難中」というメールが届き、心から安堵(あんど)したのを覚えています。
3日後、道路の開通とともに飲料水やガソリン、食料を車に積み込み、丸一日以上かけて帰宅しました。家族と抱き合って再会を喜んだ光景は、今も目に浮かびます。幸い自宅への浸水は免れたものの、瓦は落ち柱が折れ、「大規模半壊」との判定を受けました。電気以外のライフラインは途絶え、水を求める生活が1カ月以上続きました。
帰宅から3日後、街が一変し原発事故の不安が広がる中、業務命令が下されました。小名浜港の啓開作業のため、重機や人員を載せた弊社の起重機船が入港することになり、接岸できる岸壁を確保せよという内容でした。当時、国土交通省、海上保安部、福島県、いわき市の行政機関が集結する小名浜支所へ向かうと、「よく来てくれた」と歓迎され、皆さまが一斉に復旧に向けて動き出したあの瞬間は、今もはっきりと記憶に刻まれています。5・6号ふ頭の耐震岸壁が無事であったことで、そこを拠点に流出物や漂流物の引き揚げ作業を進めることができ、耐震岸壁の重要性を改めて実感しました。
その後、多くの災害復旧工事が行われ、小名浜港は着実に復興を遂げました。当時未完成だった小名浜マリンブリッジも完成し、東北最大水深のマイナス18m耐震岸壁も整備されました。私自身もその事業の一部に携われたことを、大変光栄に思っております。なお、自宅も無事に再建することができました。現在、小名浜港は水族館「アクアマリンふくしま」を中心としたアクアマリンパークがあり、ここでは多くのイベントが開催され、家族連れのお客さまなどでにぎわっています。また、遊覧船の発着場やターミナル、親水テラスなどもあり、船の停泊する風景を眺めることもできる県内有数の観光地となっています。
私自身、現在は現場を離れ、別の業務に従事しておりますが、いわき市小名浜港のますますの発展を心より願っております。

