【街の機能を再生し、にぎわい取り戻す 完成後も「長く愛されるまちづくりを」】
東京タワーと肩を並べるようにそびえ立つ3棟の高層ビル。その足元を埋め尽くす広大な緑--。2025年10月、麻布台ヒルズレジデンスBの竣工をもって、大規模再開発事業「麻布台ヒルズ」は全街区の完成を迎えた。実に35年超に及んだ歩みの裏には、複雑な地形ゆえの都市課題、そして300人を超える権利者と向き合い続けた社員たちの信念があった。初動期から携わった村田佳之特任執行役員と、地元で生まれ育ち、24年からは再開発組合の理事長も務める板垣浩氏へのインタビューから、その軌跡をたどる。
【防災面の弱みと隣り合わせだった かつての木造住宅街】
今や日本を代表する街となった麻布台ヒルズだが、かつてこの一帯には「我善坊(がぜんぼう)町」と呼ばれた木造住宅街があった。町名の由来でもある「我善坊谷」の谷あいには家屋が密集し、板垣氏は「周辺には、八百屋、肉屋、魚屋などが軒を連ね、日常の食品は全部賄えた」と懐かしむ。豊かな緑に囲まれた、大都会・東京らしからぬ情緒が広がっていた。
しかしその暮らしは、東西で約18mもの高低差がある谷状の地形が生み出す都市課題と隣り合わせにあった。
最たる問題が道路だ。地区内にあった区道の大半が、幅員4mに満たない一方通行。「そこから魚の骨のように細い私道が延び、戸建てが建ち並んでいた。(通行車両と)肩を擦りながら歩かなければならなかった」と板垣氏は語る。村田氏も「区道が途中でクランクしていることもあり、災害時に緊急車両が進入できなかった」と、防災上の致命的な弱みを指摘する。
老朽化した家屋の更新もままならず、次々と高層ビルが建設される時代の波から取り残されるように、人口減少が進行した。村田氏は「お店やお住まいになる人の存在が、活力の源となる。街の機能を復活させてにぎわいを取り戻したかった」と、事業に着手した当時の思いを振り返った。
【「信頼積み重ねる」森ビル流のコミュニケーション】
虎ノ門・麻布台プロジェクトは、1989年の「街づくり協議会」発足を皮切りに始動し、社員たちによる地域との対話が幕を開けた。森ビル流のコミュニケーションについて、村田氏は「権利者交渉については、外部業者は使わずに、社員一人ひとりが権利者と向き合うのが特徴」と説明する。都市計画提案時には、300人を超える権利者、そして400件超の借家権者を相手に、多い時で約25人の開発部隊で対応した。なかには、地区内の空き家を社宅として住み込む社員もおり、住民との他愛のない世間話や祭礼などの町内会活動への参加を通じて徐々に溶け込んでいった。「一軒一軒を『口説く』のではなく、信頼の積み重ねで任せてもらう」。事業に嫌悪感を示す住民も、日頃から関わりがある社員には信頼を寄せていたという。
板垣氏は「お隣同士の関係性やマンションの管理など、集合住宅に入る心配もあった」と明かすが、森ビルは「アークヒルズ」や「六本木ヒルズ」などの先行実績の見学会を重ね、建設後も丁寧に管理する姿勢を説明することで少しずつ不安を解消していった。
【緑・多機能・交通網 こだわり詰まった三つのポイント】
2017年の都市計画決定を経て完成した麻布台ヒルズについて、村田氏は三つのポイントを説く。
一つ目は「緑」だ。同社が掲げる「立体緑園都市(ヴァーティカル・ガーデンシティ)」の理念のもと、約6000㎡の中央広場をはじめとした広大な緑地を整備した。地域の植生を考慮して、全体の約7割を在来種で計画したという。
二つ目は「多様な機能整備」である。オフィス、住宅、商業施設に加え、インターナショナルスクールや診療所などを誘致。国内外の人々が共生する、国家戦略特区にふさわしい用途を集約させた。
三つ目は「交通エリアのネットワークへの貢献」。東西に走る「桜麻通り」「八幡通り」を整備し、南北の「尾根道」も外苑東通りへと接続させたことで、アクセスが飛躍的に向上した。また、東京メトロ神谷町駅と同六本木一丁目駅をつなぐ地下通路も整備し、バリアフリーの歩行者ネットワークを実現している。
【生まれ変わる風景 子どもたちとともに街は未来へ】
生まれ変わった故郷に戻ってきた板垣氏は、「すごいな、という一言に尽きる」と率直な感想を漏らす。路地が狭く、安心して車両とすれ違うことさえ難しかった日常はとうの昔。現在は、神谷町駅まで地下通路を使って通勤する毎日を送る。かつてこの地を潤していた緑が復活したことも感慨深く受け止めている。2月には桜田通り沿いの河津桜が早くも満開を迎えた。「この先も一年中(自然を)楽しめる」と期待を膨らませる。
板垣氏がとりわけ驚いたのが、再整備された「港区立我善坊横川省三記念公園」のにぎわいだ。かつては子どもの数も少なく、前理事長の曲谷健一氏も「お子さんに街に戻ってきてほしい」と願っていたという。いま、公園に響く子どもたちの声を聞き、「もう少し広くても良かったのかな」と顔をほころばせる。
村田氏は、「完成して終わりではなく、長く愛されるまちづくりを継続することが大切」と未来を見据える。今年中には「麻布台ヒルズ自治会」が発足予定だ。伝統ある西久保八幡神社のお祭りなど、周辺地区とも連携してさらなる魅力向上に努める方針を示す。
時代の変遷と共に活気を失いつつあった麻布台を変えたのは、よりよい街をつくろうとする森ビルの理念、そして地域の一員として住民との対話を続けた社員の歩みだった。数々の困難を乗り越えて完成した麻布台ヒルズに権利者も戻り、新たな生活がスタートする。街としての新たな歴史はまだ始まったばかりだ。
