寄り添う大事さを痛感
2011年3月11日に発生した東日本大震災。死者、行方不明者あわせ2万2000人を超える大規模災害で、その大部分が津波によるものと聞いています。仙台の中心部にいた私は、当時はまだガラケーの時代に停電、電話回線のパンクした状態の発災直後において、スタッフとその家族の安否確認をどのように行えばよいかを考え、2-3日の対応、1-2週間の対応について現地スタッフと協議した記憶があります。深夜、翌朝には津波による被害が伝わり、12日の夕方には福島第一原子力発電所の爆発事故が発生したことで緊張感が数段高まり、知見のない状況において、適切な判断を行えるか不安を覚えた記憶が残っています。また、津波による被災地を視察し、以前とは別の、想像を超える景色を目の当たりにし、大きな喪失感とともに自分の職能として一体何ができるのだろうか悩みました。翌年には、あるエリアの復興計画の策定のため、協力会社としてその業務に携わることができ、地権者とのワークショップにおいて、被災されたある方に「頭では地域の復興のため、この場所の土地利用を考えなければならないのは理解できているが、まだ見つかっていない家族がこの土の下にいるかもしれないと思うと冷静には考えられない」と言われた際、返す言葉が見つからず一緒に涙をこぼすことしかできませんでした。被災者の思いも震災直後、1年後、数年後で少しずつ変わっていくことを経験し、その時の感情やスケジュールありきではなく、被災者の思いに寄り添いながら計画をまとめることの大事さを痛感しました。
その後、建築設計という役割で被災地に関わることができました。JR仙石線多賀城駅(宮城県多賀城市)の再開発事業では直接津波の被害は免れたものの、進出を予定していた事業者が震災の影響で撤退を余儀なくされてしまったことで大きく計画を見直すことになりました。被災した市民や家族が集えるような「家」をテーマに、民間商業施設と市立図書館を一体的に運営する施設に変更し、それまで年間10万人程度の来館者だった図書館を、現在でも年間100万人を超える施設にすることができました。隣接するB棟では、高齢者向け賃貸住宅とデイサービスに加え、認可保育園と市の子育て支援施設の複合ビルとし、図書館と合わせ文化と多世代交流が行えるにぎわい施設を計画することができました。
三陸の被災地である岩手県大槌町と宮城県気仙沼市では、被災した公民館などの公共施設を複合施設として復旧することに携わることができ、集えることやぬくもりを大事にすることと同時に、施設から漏れる明かりが海の仕事から港に帰る家族にとって灯台のごとく感じられるよう計画しました。
福島県浪江町では、25日に開園する福島県復興祈念公園内にある追悼・祈念施設の管理棟に携わることができ、犠牲者への追悼と鎮魂、記憶と教訓の後世への伝承をテーマに計画しました。
新聞の調査では、震災後15年で岩手、宮城両県の首長の8割が「ほぼ復興した」と回答したそうです。しかしながらわが国において、地震による災害は今後も避けて通れません。不幸にもまたこのような大規模災害に直面した時、この経験を生かし被災者に寄り添った復興を行うことができ、自分自身もその一役を担えればと思います。

