【庭園デザイナー 石原 和幸氏に聞く】圧倒的に美しい花と緑を武器に | 建設通信新聞Digital

4月29日 月曜日

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【庭園デザイナー 石原 和幸氏に聞く】圧倒的に美しい花と緑を武器に

(いしはら・かずゆき)1958年、長崎市生まれ。石原和幸デザイン研究所代表。22歳で華道の池坊に入門。以来、花と緑に魅了され、地元で路上販売から花屋、庭づくりを始める。2011年に羽田空港第一ターミナルにチェルシーフラワーショー展示作品「花の楽園」を再現、13年には東京の恵比寿ガーデンプレイスのウェスティンホテル東京でも独自の庭造りで美しさをアピールするなど、全国で庭と壁面緑化事業を独自に展開。地域の緑化活動の支援やふるさと大使としても活躍

 世界最高峰の造園コンクール「チェルシー・フラワーショー」で11個の金メダルを獲得し、英国エリザベス女王に「緑の魔術師」と称えられた庭園デザイナー・石原和幸氏。世界に認められた豊かなデザイン性と確かな施工技術力で、これまで盆栽をベースにした数々の庭園を生み出してきた。「圧倒的に美しい花と緑があれば、必ず建物や街のブランド力を高め、武器になる」と力を込める石原氏に、庭園を生かした今後のまちづくりの可能性を聞いた。
 「すべては路上販売の花屋から始まった」。29歳だった当時の夢は、地元長崎で一番の花屋になること。やっとの思いで買った軽トラックで2日に1回、車内で寝泊まりしながら往復7時間かけて花を仕入れ、「お客さん、安いよ」と道端で叫んで花を売った。ゼロからの出発。「花を売らずに夢を売る」という熱い思いが原動力になった。顧客を喜ばせたくて、採算を度外視して花束を届けたことも。2年後には30カ所に店を持ち、長崎で1番の花屋になった。
 後にバブルが崩壊した。街は様変わりし、以前ほど花が売れなくなったころ、顧客から頼まれて庭を造るようになった。35歳のころだった。紆余曲折を経て多額の負債を抱えながらも、客単価5万円、10万円の庭を造った。「お客さんが喜んでくれる」ことがうれしく、庭造りにのめり込んだ。
 未知の世界へ挑戦したのは46歳の時。資金も時間も力量もなかったが、「絶対に世界一になってやる」とチェルシー・フラワーショーに挑んだ。日本庭園は足元にコケを配するのが一般的だが、「コケはある種の絵の具」という大胆な発想で、テーブルやドアなどすべてをコケで覆った庭を発表した。コケを使った独自の世界観が高く評価され、2006年から19年までの間に計11回の金賞を受賞した。部門内1位に贈られるベストガーデン賞とのダブル受賞を6回達成し、特に16年の大会では、出展者では最高賞のプレジデント賞を受賞した。

◆世界を魅了する緑の魔術師

2018チェルシー・フラワー・ショーのアーティザン・ガーデン部門のゴールドメダルと、その中での頂点に当たる最優秀賞を受賞した「おもてなしの庭」。梓設計が協力した


エリザベス女王に東日本大震災の被災地の写真を見せる石原氏

 その革新的な発想は、英タイムズ紙で「Moss Man(コケ男)」と称されるほど。以後、世界中の庭師がコケを使うようになり「“コケの旋風”を巻き起こした」と笑う。コンクールの総裁を務めるエリザベス女王から「あなたは世界一のお庭の魔術師ね」と言葉を掛けられたことも印象深い。これまで挑み続けてきたのは「ブランド力を高めて財界や企業に知ってもらい、庭園ビジネスを広めたかったから」

 受賞を重ね、他者にはできない斬新な発想と施工技術力に自信が付いた。08年には企画を担当する石原和幸デザイン研究所を設立。実際に造園、建築作業に携わる代官山花壇など、グループ総勢で30人のスタッフ、庭師を抱える。個人から法人までの顧客の予算と希望に沿って、グループ全体でどんな庭ができるかをすり合わせる。22年5月期のグループ全体の受注高は30億円を見込むほどに成長した。

 「かねてから緑のウェーブが来ると本気で思っていた」。予見どおり、最近では緑化が各国の課題になり、庭園は世界の人々が必要とするビジネスになった。足元では新型コロナウイルスの問題がライフスタイルを変える契機にもなり、「豊かであることの考え方が変わってきた」とも。造園に関わる国内の市場規模は3000億円程度と英国4兆円に対してわずかだが、「日本で庭園ビジネスが広がる余地は大きい」とみる。

 消費者の関心は癒やしや環境に向いている。建物がどれほど立派でも、もはやそれだけで人は集まらない。「圧倒的に美しい庭」が集客の原動力になる。最近ではゼネコンやディベロッパーからの依頼も増えた。大阪府吹田市の分譲マンションには、受賞作品『千里千庭』をモチーフに造園を担当した。庭園を前面に出してパンフレットを作ったところ、それまで例のない問い合わせがあったという。

拠点を置く渋谷の緑化イメージも描く。壁面緑化も同様に美しさが重要だ。「渋谷は最もインスピレーションを受ける街。電線に至るまで植物でいっぱいにし、信号に巣箱を作ったら鳥が入るかな。ビルの壁面に花が咲いていたらラブリーでしょう」(石原氏

◆わくわくする風景が人を呼ぶ
 医療と緑のコラボレーションにも可能性を感じている。数年前には地元長崎にある居住型老人ホームから庭のプロデュースの依頼を受けた。「庭にも予算を回してほしい。必ずパラダイスのような場所にしてみせますから」と説得し、庭の予算に一億円を確保してもらった。優美なイングリッシュテイストを取り入れながら丘陵の傾斜を利用して小川を造り、奥行きがあって誰もが懐かしい気持ちになる里山を再現した。低い位置からでも眺められる美しい自然、庭は認知症の改善にも効果が見られたという。

 わくわくする風景があれば、人はそれに引かれてやって来る。あちこちに花と緑、自身の原点である里山を増やし、自然の姿を取り戻す覚悟だ。故郷の長崎にはプライベートガーデン「三原庭園」を創作した。段々畑や空き家を有効活用し、モデルガーデンとしての機能も果たしている。「小川のせせらぎや段々畑に洋風建築を加えたり、旅した中で出会った物を取り入れてきらっと光らせるんです」と、アイデアは尽きない。展望デッキ、カフェバーも話題を呼び、わずか2年で1日あたり数百人が訪れる名所になった。訪れる人のこぼれる笑みが原動力になる。
 (写真提供: 石原和幸デザイン研究所)



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