地域思う情熱を次世代へ
東日本大震災から15年、あの日から積み上げられた時間は、被災地の景色を大きく変えました。新しく築かれた防潮堤、整備された美しく機能的な街並み。このように、物理的な復興が進む一方で、人々の記憶からあの時の風景や感情が薄れつつあることに、一抹の不安と寂しさを覚えます。一人の技術者として、そして自らも被災した当事者として、あの日の記憶を振り返ります。2011年3月11日、当時の私は仙台に赴任したばかりで、過去の業務対応のため大阪に出張していました。遠く離れた地でも感じた長く大きな揺れ。テレビに映し出される、見慣れた沿岸部を飲み込む黒い津波。家族と連絡がつかないまま、一睡もできずにテレビを凝視していたあの夜の恐怖は、今でも鮮明に覚えています。ようやく仙台へ戻れたのは3月13日の深夜でした。暗闇の中、避難所の小学校でスマートフォンの細い光を頼りに、床に横たわる多くの人々の中から家族を探し出したあの瞬間。再会できた安堵(あんど)と同時に突き付けられた非日常の光景は、私の技術者としての新たな原点にもなりました。
震災後、私は避難所から職場へ通う日々を送りました。特に忘れられないのは、震災前に担当していた沿岸部の小さな集落のことです。何度も現地へ足を運び、住民の方々にも話を聞き、下水道計画を立案した場所。しかし、あの日、その集落は丸ごと津波に飲み込まれ、何もかも消滅してしまいました。現地に立った時、自然の力の恐ろしさと自分の無力さに呆然と立ち尽くしたことが思い出されます。しかし、その時、心の底から湧き上がってきたのは、「自分が頑張らなければ」という強い純粋な使命感でした。一人の技術者として、目の前で立ち尽くす人々のために、自分の技術で貢献したい。その一念だけで、連日の調査と設計に没頭しました。
当時の現地調査では、筆舌に尽くしがたい悲しい場面も見てきました。自然の猛威に対する人間の無力さを痛感させられました。しかし、同時に私を支えたのは、避難所で出会った人々の「強さ」です。大切な人の安否が分からず、布団の中で声を殺して泣きながらも、翌朝には周囲に笑顔を見せる強さ。未曽有の困難に直面した時でも、人には他者を思いやる強さがある。その強さこそが、復興の原動力であったと感じています。私たちコンサルタントが創るものは、単なる構造物ではなく、そうした人々の「何気ない日常」を守るための土台なのだと、深く胸に刻まれた経験となり、今でも教訓として生きています。
最後になりますが、震災を経験した技術者として伝えたいことがあります。設計は、単に図面を描くことではなく、過去の多くの知見と最新技術を駆使し、地域の未来を創る誇り高い仕事だということ。技術は日々進歩し、便利なツールが私たちを助けてくれます。しかし、最後に設計図へ命を吹き込むのは、技術者の「地域を思う情熱」です。あの日、暗闇の中で家族を照らしたあのスマホの光のように、私たちの技術と情熱が、誰かの未来を照らす希望の光であり続けたい、そう願ってやみません。


