【先見性と推進力で国土の発展に尽力】
東京都出身。建設省キャリア官僚としての道半ば、病を得、縁あって新潟市に居を構え60年余の短い生涯を「夢のある道路づくり」に捧げた--。かつて「裏日本」と呼ばれた地方都市新潟で、降雪地域の生活インフラ整備、地域高規格道路制度整備に30年先んじて高速道路並みの規格で構想したバイパス道建設をけん引し続けた土屋雷蔵氏(1928-1990年)の足跡をまとめた『夢に挑み 道を啓く 土屋雷蔵伝』が、北陸地域づくり協会から出版された。非凡な先見性や推進力、交渉力、洞察力、困難と向かい合い“公の仕合わせ”を希求する姿勢は、現代社会を生きる上でも羅針盤になり得る。 同書は、「日本の道路は信じ難い程悪い。工業国にしてこれ程完全にその道路網を無視してきた国は日本の他にない」と日本の道路行政を酷評したワトキンス・レポートを土屋氏の原点とする。
そして1回目の新潟赴任では、未曽有の雪害となった三八豪雪に見舞われる。未成熟な道路整備、除雪体制によって混沌とした状況の中で、国をはじめとする道路管理者と除雪業者が懸命に対応する様子が克明に描かれている。
この雪害で得られた教訓が、防雪工学の誕生や現在も活用されている標準的な道路除雪方式、国産除雪機械の開発、堆雪幅の確保、新技術を使った情報収集などにつながっていく。
そして三八豪雪が終わると、若手職員を集めて先進地アメリカの高速道路に関する技術書を読み込む勉強会を主宰する。このころ自動車が急増して全国各地で渋滞や交通事故などが社会問題となっており、国道の二次改築の計画が進められていた。土屋氏は、北陸地域の地方都市それぞれの実情と将来予測から、ふさわしいバイパスを一から構想するとともに、この過程で部下を指導していった。
この勉強会で構想され、実際に建設された新潟バイパスは、新潟県内に高速道路が通る以前の1970年に開通した。盛土形式のアクセスコントロールバイパスで、97年には12時間交通量で全国1位を記録するなど、50年以上にわたって新潟市の大動脈として社会経済活動を支えている。94年に制定された地域高規格道路の制度設計にも大きく貢献している。
建設官僚の後輩に当たる三浦真紀氏は、これだけの功績を残した要因を「時代の先を見通す深い洞察力」と分析した上で、「これほど深い洞察力と卓越した実行力を兼ね備えた人は容易に現れないが、偉大な先人の足跡を学ぶことはできる」としている。実際、「土屋学校」の卒業生(後輩職員)を筆頭に土屋氏のDNAは脈々と引き継がれている。
土屋氏は関東大震災の5年後に生まれ、東京大空襲を生き延びた。惨禍を経験し、「歴史に学び、知見を体系化し、次に備える」ことを貫いたが、同等に「夢」を大切にしていた。
巻頭言を寄せた徳山日出男日本道路協会長は、土屋氏を「未来の夢を形にする挑戦者」と表現し、「世界最先端の情報を入手し、地方の実情に学び、本省より先に施策を展開して見せる。こんな例は他にない」と敬意を表している。
著者の一人である橋本啓子氏は、事実関係の確認や道路行政、それに関する論文の咀嚼(そしゃく)などに苦労しつつも、「土屋氏の功績をたどることで、道路を含めた社会インフラが技術、すなわちその時々に携わった技術者たちが前進させてきたことの積み重ねで成り立っていることが分かった。技術者の志に感銘を受けた」と振り返っている。
出版元である北陸地域づくり協会の近藤淳理事長は、「若い方々を含め、とにかく多くの人に読んでほしい」と話している。
同書は協会ホームページから無料でダウンロードできる。印刷版(定価1100円)も取り扱っている。
東京都出身。建設省キャリア官僚としての道半ば、病を得、縁あって新潟市に居を構え60年余の短い生涯を「夢のある道路づくり」に捧げた--。かつて「裏日本」と呼ばれた地方都市新潟で、降雪地域の生活インフラ整備、地域高規格道路制度整備に30年先んじて高速道路並みの規格で構想したバイパス道建設をけん引し続けた土屋雷蔵氏(1928-1990年)の足跡をまとめた『夢に挑み 道を啓く 土屋雷蔵伝』が、北陸地域づくり協会から出版された。非凡な先見性や推進力、交渉力、洞察力、困難と向かい合い“公の仕合わせ”を希求する姿勢は、現代社会を生きる上でも羅針盤になり得る。 同書は、「日本の道路は信じ難い程悪い。工業国にしてこれ程完全にその道路網を無視してきた国は日本の他にない」と日本の道路行政を酷評したワトキンス・レポートを土屋氏の原点とする。
そして1回目の新潟赴任では、未曽有の雪害となった三八豪雪に見舞われる。未成熟な道路整備、除雪体制によって混沌とした状況の中で、国をはじめとする道路管理者と除雪業者が懸命に対応する様子が克明に描かれている。
この雪害で得られた教訓が、防雪工学の誕生や現在も活用されている標準的な道路除雪方式、国産除雪機械の開発、堆雪幅の確保、新技術を使った情報収集などにつながっていく。
そして三八豪雪が終わると、若手職員を集めて先進地アメリカの高速道路に関する技術書を読み込む勉強会を主宰する。このころ自動車が急増して全国各地で渋滞や交通事故などが社会問題となっており、国道の二次改築の計画が進められていた。土屋氏は、北陸地域の地方都市それぞれの実情と将来予測から、ふさわしいバイパスを一から構想するとともに、この過程で部下を指導していった。
この勉強会で構想され、実際に建設された新潟バイパスは、新潟県内に高速道路が通る以前の1970年に開通した。盛土形式のアクセスコントロールバイパスで、97年には12時間交通量で全国1位を記録するなど、50年以上にわたって新潟市の大動脈として社会経済活動を支えている。94年に制定された地域高規格道路の制度設計にも大きく貢献している。
建設官僚の後輩に当たる三浦真紀氏は、これだけの功績を残した要因を「時代の先を見通す深い洞察力」と分析した上で、「これほど深い洞察力と卓越した実行力を兼ね備えた人は容易に現れないが、偉大な先人の足跡を学ぶことはできる」としている。実際、「土屋学校」の卒業生(後輩職員)を筆頭に土屋氏のDNAは脈々と引き継がれている。
土屋氏は関東大震災の5年後に生まれ、東京大空襲を生き延びた。惨禍を経験し、「歴史に学び、知見を体系化し、次に備える」ことを貫いたが、同等に「夢」を大切にしていた。
巻頭言を寄せた徳山日出男日本道路協会長は、土屋氏を「未来の夢を形にする挑戦者」と表現し、「世界最先端の情報を入手し、地方の実情に学び、本省より先に施策を展開して見せる。こんな例は他にない」と敬意を表している。
著者の一人である橋本啓子氏は、事実関係の確認や道路行政、それに関する論文の咀嚼(そしゃく)などに苦労しつつも、「土屋氏の功績をたどることで、道路を含めた社会インフラが技術、すなわちその時々に携わった技術者たちが前進させてきたことの積み重ねで成り立っていることが分かった。技術者の志に感銘を受けた」と振り返っている。
出版元である北陸地域づくり協会の近藤淳理事長は、「若い方々を含め、とにかく多くの人に読んでほしい」と話している。
同書は協会ホームページから無料でダウンロードできる。印刷版(定価1100円)も取り扱っている。