このエッセーは、ノルウェーとフランス出張を終え日本へ戻る飛行機の中で書いている。旅の新鮮な気分が残っているうちに書き留めておきたいと思っていた。マルセイユから羽田まではたっぷり18時間もあるし、退屈な機内でどこまで集中できるのか試してみたかったのもある。あっという間の羽田到着を期待して。
私にとって旅というのは、ライフワークのようなものだ。予定を立てずに気の向くまま…という贅沢(ぜいたく)は許されないが、完璧な予定など立てずになるべく自由に過ごしたい。予定は見るべき建築を起点にし、1日に見学するのは多くて二つ。それも、よほどの名作が近くにある時に限る。
しばらく続けていることは、スケッチと実測をするようにしている。写真より記憶に残るし、今まで気づかなかったところに気づくこともできる。何より名作と向き合って描いているのは楽しいことなのだ。最近は、クライアントとの視察も多く、視察後は別れて寄り道をしてから帰国というパターンだ。自由行動になった時の開放感と、行きたかった場所へ行けた高揚感はなんとも言い難い。
今回の旅はノルウェーでの視察のあとに、ヨーテボリ(スウェーデン)、リヨン・マルセイユ(フランス)を巡った。
視察先のオスロ(ノルウェー)から、以前より訪れてみたかったアスプルンドのヨーテボリ市庁舎(旧裁判所)までが電車で3時間と気づいた時に旅のルートが見えてきて、そこからリヨンのラ・トゥーレット修道院、コルビュジエがその設計に際して参照したというマルセイユ近郊のル・トロネ修道院へ。そしてユニテ・ダビタシオンに宿泊というルート。マルセイユといえばユニテ・ダビタシオンに宿泊するというのはわりと自然なルートだと思う。
守秘義務があるので深くは書けないのだが、実はオスロでの視察と修道院には深い関係があると感じ、どうしても見ておきたかったのだ。また、偉大な建築家の偉大な建築についてここで書くのも悪くないが、ちょっと専門的になりすぎるのでやめておく。代わりにマルセイユでたまたま出会った小さな漁村のことを気軽に書いてみようと思う。
リヨンからマルセイユに入った時、なんだかすごく伸び伸びとした気分になった。海の街ならではの空気感である。マルセイユは、治安の良さそうなところではない。ガイドブックを見なくても街の臭いでなんとなく分かる。
アフリカ大陸にも近く移民も多い。旧港は観光拠点だが、レストランもカフェもちょっと歩いて、少し食べればもう十分。お目当てのユニテはそこから公共交通で20-30分離れているので、だいぶマルセイユの日常が感じられる場所にあるのだが、それだけでは少し物足りなくて、インターネットで調べてみたところ「Les Goudes」という古い漁村があることを知り、足を伸ばしてみたくなった。
昔、ある先生からこんなことを言われたことがある。「山崎くんは、海の建築家だね。私は山の建築家だけど」。先生にとって、“山”とはギリシャの丘の上にあるパルテノン神殿を指し、“海”とはその下に広がる漁民を含めた下町庶民を指す。つまり、王道かつ神聖で厳格なものに対して、私の仕事は、カジュアルでフレンドリーという意味だと理解している。
けなされているのか、褒められているのかは、分からないが、自分では結構気に入っていて、旅先でもそんな空気感の場所に導かれることがよくある。そんなこともLes Goudesに向かわせるのだろう。
訪れてみると本当に小さな古い漁村で、首輪のついていない犬が路地をうろうろしている。店を開ける前の店主やご近所さんたちが楽しそうに立ち話をし、笑い声がいろんなところから響いてくる。漁民の子孫たちが持っている自由さ、明朗さ、都会人のなくしてしまった野生を感じる。
偶然入った店はなかなかよかった。メニュー構成はシンプルで、ムール貝のパン粉焼きと鮮魚のグリルを注文した。リヨンの手の込んだ郷土料理もうまかったが、シンプルで豪快で、バターとニンニクたっぷりの快楽的な料理には、やられた。
私には旅先の忘れられない光景がある。ずいぶん昔に訪れたインドのバラナシである。若い時の「お金はないが自由がある」というのが最高の贅沢だったし、すごく居心地が良くて1週間くらいバナラシにいた。
そこは、ヒンドゥー教の聖地であるのだが、ガンジス川では、大人たちは洗濯をしたり歯を磨いたり、子どもたちは川へ飛び込んで遊んでいた。沐浴とお祈り、そのそばでは死体を燃やし、物乞いは観光客に金をたかる。朝日が昇る時間には、川の反対側の何もない荒野から昇ってくる太陽に向かい、その瞬間その場が祈りの空間へと一変する。まさに聖と俗が入り混じる混沌とした、生々しい世界。私のような日本人にも、ずっとそこにいることが許されている寛容さがあり、まさに心奪われる風景であった。
私たちが関わった仕事で、「52間の縁側」というデイサービス施設がある。ここでは介助の必要な高齢者や認知症、障害者が過ごす施設なのだが、地域の子どもたちが学校帰りに立ち寄り、保育園の園児たちが庭で遊んでいく。不登校の子どももいれば、そうでない子も入り混じり、地域の人たちと餅つきをしたりする。さまざまな人たちの関わり合いがだんだんと広がり、ここも生と死が交わるカオスであり、そしてさまざまな人たちを受け入れている。ここもまた同様に生きている場なのだ。
建物が完成するまでは無我夢中で気づかなかったが、バナラシのあの光景を求めていたのかもしれない。漁村の小さな風景の中にいて、そんなことを思い出した。思いがけず心に残る風景と出会う、これが旅の醍醐味(だいごみ)なのだ。
(写真はすべて山﨑氏提供)
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