地上を離れ、初めて地球を上空から見たのは19歳の時だった。1999年8月、飛行機が滑走路を離陸すると、機体はゆっくりと青い空へと上昇し、窓の外に広がる地平線がぼんやりとした輪郭を描いていた。その光景を目にした時、「これが地球なのか」と実感した。眼下には見たこともない都市の風景が広がり、海を越えた先にはユーラシア大陸の山脈が連なっていた。そして気がつけば、太陽はいつの間にか沈みはじめ、空と大地、海は一つの闇に包まれていった。
初めて降り立ったマドリードの乾いた湿度と独特の匂い。目の前に広がる全てが知らない世界であり、その体験の感動はいまでも記憶に残っている。その旅の後、日本の建築をほとんど見ていないことに気づき、東京から北海道まで1週間かけて、さまざまな建築を観て巡った。
それから25年がたち、多くの旅をしてきた。2006年からはパリに拠点を構え、世界各地、日本国内のさまざまな土地に行く機会があった。そして旅は続き、19年ごろには仕事も増え、移動も頻繁になり、毎月のように日本に帰国しながら、欧州各国、米国やブラジル、ブータンやスリランカなど、ひたすら移動を続けていた。年間160日近くパリを離れる生活の中で、20年にパンデミックが起こった。
移動が制限される状況下で、「移動しなければ時間が増える」ことに気がついた。それはあまりにも当然のことでありながら新鮮な発見だった。それ以来、12時間以内ならどこでも電車で移動し、また戻るようにしている。これは気候変動に対する反省からの行動だけではなく、時間をもつことの豊かさを学んだからだ。旅がもたらす時間と距離を体感すること、訪れる場所への敬意を、改めて意識するようになった。
旅は同じ土地には二度は行かないことがほとんどだ。観光名所や遺跡、この十数年で環境は大きく変化し、観光汚染された都市や建築や周辺も多い。私たちは多くを経験し過ぎている。次世代、さらにその先の世代は、私たちが体験したような異文化との出会いや時代の厚みに深い衝撃を享受する機会が少なくなってきているかもしれない。
もう一度行きたい場所、もう一度見たい建築は、もちろん多くある。しかし、私は再訪しないことにしている。アテネ、イスタンブール、レイキャビック、リオデジャネイロ–これらの都市での建築体験や街の感覚、その日その日の出来事は今も鮮明に残っている。
一方で、ヴェネツィア、ミラノ、ロンドン、ニューヨークや京都などは行き過ぎてしまい、いつどこで過ごしたのか、忘れていることの方が多い。それだけでなく、訪問者の急増により、それぞれの環境が大きく変わってしまった。仕事や講演会で呼ばれれば再訪することを願いたいが、旅ではもう行くことはしないだろう。
かつて旅は、一生に一度きりのものだった。半世紀ほど前の時代では写真などなくても、訪れた国やその建築を記憶にとどめ、想像を巡らせながら一生涯語り続けることができたはずだ。
旅は必ず、自分の中にないものを与えてくれる。地続きの旅は、自然であれ、街並みであれ、その土地の営みがゆっくりと積み重なった時間の中に存在する。旅には時間をかけ、その土地に息づく歴史や文化を読み取り、そこに建つ建築、名もなき建築を巡ることで、風景の中に刻まれた日々の営みを感じ取る。その土地の言語や文化の文法を読み解くことにこそ、旅の喜びがある。
そこには、もう存在しない先人の知恵や工夫の証があり、建築が生み出す質感が残されている。屋根や壁、梁、窓、扉、取っ手や手すり、光や乾いた風–それらが地域の風土や装飾とともに語り掛けてくる。建築がその土地にどのように根付いているのかを見つめ、その時間の言葉に耳を傾けながら、幾重にも重なる歴史を想像し、自分の記憶に刻み込む。それは建築をみる時間の旅であり、時間を通して行う想像の旅でもある。
建築は長い時間をかけて存在し続け、その場所との結び付きの中でこそ真価が現れる。旅という一度きりの体験は、もう二度と同じ形では訪れない。その時に出会う建築、建築の尊さにこそ、旅によって自分の記憶の中に深く刻まれる。
次回は山崎健太郎氏です。
(写真は全て田根氏提供)
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