
建築を見る旅といえば、修士2年の秋、約1カ月かけてヨーロッパを周遊したときを思い出す。世界的建築家が手掛けた建築をこの目に焼き付けようと、私は渇望するように各地を駆け巡った。
マリオ・ボッタが設計した『UBS本社屋』を見に行ったときは、どうしても内部の空間を体感したくて、何回も警備員に止められながらもいろいろな場所から入ろうとして警告が鳴った記憶もある。それほどまでに、当時の私は何かに突き動かされるような執念に駆られていた。
教科書で見た建築を生で見たときは、心の内側から身震いする思いで、尊い憧れの念を抱いた。「いつか私も、遠くの国から訪れる誰かの心を、これほどまでに揺さぶる建築を作りたい」。そのときに抱いた高揚感は、今もたまに私を鼓舞し続ける。
もう12年前のことだが、鮮明に覚えていることが幾つかある。
一つ目は、ヘルツォーク&ド・ムーロンの『シグナルボックス』を見に行ったときだ。正直に言えば、それは「気味が悪い」という形容がもっとも近かった。わざわざ現地まで足を運んだにもかかわらず、その異様さに圧倒され、近づくことさえできなかったのだ。今でも当時の写真を見ると、肌が粟立つような感覚に陥る。生理的な拒絶反応を催すほどの、おぞましさ。当時、建築を「形態」から「現象」へとシフトさせていた彼ららしい表現と言えるが、その建築には情景が宿りすぎていた。私の感性はそれに過敏に反応してしまったのだろう。そのゾワゾワ感は今でも覚えている。
二つ目は、コルビュジエの『ユニテ・ダビタシオン』を訪れたときのこと。本来であれば、内部を見学するには事前のツアー予約が必須であった。しかし、それを知らぬまま現地へ赴いた私は、丸一日かけてマルセイユまでたどり着いたにもかかわらず、中に入れないという現実に直面した。諦めの悪い私は、内部まで入れるギリギリのところをずっとウロウロ歩いていた。エレベーターに乗ったとき、住民の老人が声をかけてくれて、「この建築を見るために日本から来たのだけど、ツアーに申し込みそびれてしまって……」と伝えると特別に住居の内部を見学させてくれた。
今でも鮮明に記憶しているのは、住居内部に一歩足を踏み入れた瞬間に感じた、極めて密やかな「身体スケール」の感覚だ。ル・コルビュジエが提唱した「モデュロール」と、シャルロット・ペリアンが設えたキッチン。それら身体寸法から導き出された、手に届くようなスケールで構成された住居には、どこか日本的な情緒さえ漂っていた。身体から環境へと、一つのオーダー(秩序)によって空間が拡張していくその構成は、茶室と庭園の関係性にも通ずるものがあるのかもしれない。四方に手を伸ばせばすべてに手が届きそうな、あの親密な距離感は今も肌に強く残っている。
また特別な体験だったのが、住民しか持っていないユニテ・ダビタシオンの書籍を私に譲ってくれたのだ。全部フランス語で書いてあったので当時は全く読むことはできなかったのだが、そのような旅の特別な出会いが、建築を特別な思い出へと昇華させてくれた。こうした予期せぬ出会いを引き寄せる磁力さえも、この建築がもつ力なのだろう。
三つ目は、カルロ・スカルパが設計した『ブリオン・ヴェガ墓地』と『カステルヴェッキオ博物館』である。どちらの建築も、重なり合う複数の構図が随所に垣間見え、夢中でスケッチブックに鉛筆を走らせたことを覚えている。建築が切り取る奥行きやプロポーションの精度が極めて高く、どの視点から筆を執っても絵として完璧に収まった。
光を導く開口部の配置、オブジェクトが落とす影、手前と奥が重なるレイヤー、そしてそれらを縁取るディテール。二つの建築には共通して、スカルパ特有のセンスが息づいていた。そこにあるのは「人が居る風景」というよりも、3次元の絵画を構成しているような、独特の比率と美しさであった。
私が今、「身体性」を軸に据えて設計活動を行っているのは、こうした旅の記憶に刻まれた生々しい体験に端を発しているのかもしれない。
思わず肌が粟立ったあの戦慄、内と外が溶け合うような親密なスケールに包まれた感覚、あるいはその場に立ち尽くし、無心でスケッチを走らせた時間。それらは単に視覚的に「見た」景色ではなく、建築と私の身体が激しく交錯した瞬間の集積である。
そうした全感覚的な体験は、歳月を経てもなお色あせることなく、血肉となって私の中に息づいている。いつか私も、世界のどこかで誰かの心に深く、鮮烈に刻み込まれるような建築をつくってみたい。旅の終わり、胸に刻んだ日のことを、今改めて噛み締めている。
写真は全て津川恵理氏提供
このシリーズは、建築家の方々に旅と建築について寄稿していただいています。
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