後世に伝える「てんでんこ」
東日本大震災から15年がたちました。私は震源地に近い宮城県石巻市の出身で、生まれ故郷が甚大な被害を受けました。復旧・復興への関わりは、出身地が近いこともあり女川町の復興工事を4年半担当したことです。還暦を迎えた現在も定期的に石巻に行き、昔の仲間たちと交流を深めながら被災地の復興を見守り続けています。あの日、東京都内の電車の中で大きな揺れを感じ、大混乱の中、会社のある浜松町まで徒歩で向かいました。会社にたどり着き、テレビで宮城県名取市に津波が押し寄せている映像を見て、石巻に住む親族の安否を心配しながら一夜を過ごしたことが忘れられません。
入社8年目に阪神・淡路大震災が発生した当時、土木技術社員として空港や高速道路の現場に勤務していたことから、その被害状況に大きなショックを受け、何か被災地の役に立てることはないのだろうかと思いながらテレビ報道を見ていました。2011年東日本大震災の被害は特に甚大で、建設業に従事する私たちの力を必要としていると強く感じました。その時、東京都内の現場で作業所長をしていた私は、被災地のため、故郷のため、これまで会社に育ててもらい培った技術を生かせるときと自分自身を奮い立たせました。
14年、会社から出身地・石巻に隣り合わせの女川町の復興工事へ異動を命じられ、牡鹿半島の集落の高台移転工事などを担当しました。当時東北地方の復興に多くの関係者が招集され、私の現場にも全国各地から多くの社員が来て復興工事に携わりました。正直泥臭い仕事ではありましたが、あの4年半の経験が今の職務に生かされていると思っています。
がれき処理から始まり、新しい社会インフラを構築する私たち建設業に携わる者、被災地復興のため全国各地から支援をしていただいた全ての方々に、被災地出身の私には感謝しかありませんでした。また、改めて建設業の偉大さと人の力はすごいと実感しました。
復興が進み、私が石巻から東京に戻る際に、「石巻を忘れてほしくない」との思いで、自転車の復興支援イベントに娘を誘い参加したことが一生の思い出です。
大震災から15年が経過した被災地は、復興工事が盛んに行われていた頃はにぎやかさを取り戻していたように感じていましたが、現在は復興工事が落ち着き、ひっそりとして、海岸に近い町の人口減少と高齢化が進み、産業も低迷している印象です。
3.11は私にとって忘れられない特別な日です。津波さえ来なければ失った親族や同窓生の命も故郷の街並みもそのままだったのではと思うことはありましたが、還暦を迎えた今、この大震災の経験を風化させてはならない、災害に強い街づくり、災害に負けない力を私たちは後世に伝えていかなければならないと思っています。
地震直後に母と叔母が「命てんでんこだからね」と言葉を交わして別れたと後で聞きました。三陸地方では昔から「津波てんでんこ」という言葉が伝承されており、各地の防災教育などで紹介されています。現在は会社の安全管理を担当する立場になり、この言葉の意味と、あらゆる場面で自分自身の命を守る行動を最優先することを指導していきたいと思っています。

