【"建築は芸術だ"】日本独自の建築を模索した9人の活動紹介「分離派建築会100年展」開催中 | 建設通信新聞Digital

5月3日 金曜日

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【”建築は芸術だ”】日本独自の建築を模索した9人の活動紹介「分離派建築会100年展」開催中

 1920(大正9)年から28(昭和3)年までの短期間だが、当時の建築界に強烈なインパクトを与えた「分離派建築会」という日本で初めてとされる建築運動があった。20年、東京帝国大学(現東京大学)建築学科の卒業を控えた石本喜久治、山田守ら6人の同期が「過去建築圏より分離」を目指して「我々は起つ。」と分離派建築会の結成宣言をした。主眼は、当時の建築を実用と見なす論調に対して、「建築は芸術だ」という主張だ。結成から100年後のことし、東京都港区のパナソニック汐留美術館で、分離派建築会の日本近代建築史上での位置付けを再検証する展覧会が開催されている。

 分離派建築会が結成された大正時代は、明治以降に日本に移入された西洋の様式建築の学習が明治末期にほぼ達成され、日本独自の建築とは何かという模索が始まった時代。そうした中で、東京帝大建築学科の石本、山田のほか、瀧澤眞弓、堀口捨己、森田慶一、矢田茂の6人が同会を結成した。結成宣言後、学内で習作展、白木屋で第1回作品展を開催し、その革新的な内容が同世代の建築家や学生などの注目を集めた。

 その後、大内秀一郎、蔵田周忠、山口文象が加わって、28年の第7回まで作品展を開催し、出版活動も展開する。22年からは、山田の東京中央電信局(25年)や石本と山口の白木屋百貨店(28年)など、住宅、公共的建築、商業建築などの実作を手掛け、建築が芸術であるという主張を世に問い始めた。

 展覧会は、9人全員の活動を紹介。図面、模型、写真、映像、関連する美術作品など160点で軌跡を振り返る。結成前夜を概観する第1章「迷える日本の『建築様式』」に始まり、30年代のモダニズム建築と出会ってからの作品紹介となる第7章「散開、それぞれのモダニズム建築」まで、分離派建築会の集大成といえる展覧会となっている。関連イベントとしてシンポジウムのほか、同館ホームページで作品紹介や漫画エッセイストのY田Y子氏の『マンガで見る! 分離派建築会実録エピソード』が公開されている。

 12月15日まで。水曜日休館。午前10時から午後6時。入館料は一般800円、大学生600円。

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