【記念シリーズ・横浜公共建築100周年】第17回 みなとみらい線・馬車道駅/建築家 内藤廣氏に聞く | 建設通信新聞Digital

4月25日 木曜日

横浜市公共建築100年

【記念シリーズ・横浜公共建築100周年】第17回 みなとみらい線・馬車道駅/建築家 内藤廣氏に聞く

◆街とつながり地域の財産に
 横浜駅からみなとみらい地区を経由して横浜都心部の魅力スポットを結ぶ地下鉄「みなとみらい線」。地上の街並みや特性を投影した個性あふれる各駅舎のデザインは、土木・都市・建築が融合した画期的なものとして、2004年2月の開業当初から高い評価を得た。その一つ、馬車道駅をデザインした建築家の内藤廣氏は、「これからの駅は街とともにあるべきだ」という、当時の高木文雄横浜高速鉄道社長からの言葉が「強く心に響いた」とふり返る。 「それぞれアイデアを出してほしい。自由にプレゼンテーションしてくれ。そういうスタートでしたね」という。
 

 東急東横線と相互直通し横浜駅から元町・中華街駅までを結ぶ、この長さ4.1㎞の鉄道は、地下水位が高く軟弱な地盤に加え、3つの川を横断するため、地中深くを走行する。この地上からの「深さ」を逆手にとって、地下に出現する大空間を周辺の街づくりとも連携した都市のオープンスペースとして有効活用し、地域の財産となる駅空間を創出していく。その実現に求められたのが、既成概念にとらわれない建築家の豊かな発想と構想力だった。
 内藤氏とともに招聘されたのは、みなとみらい駅が早川邦彦氏、元町・中華街駅は伊東豊雄氏、日本大通り駅が日本鉄道建設公団(現鉄道建設・運輸施設整備支援機構)の安藤恵一氏。計画途中で追加された新高島駅はUG都市建築の山下昌彦氏が担当した。
 渡辺定夫東大名誉教授を委員長とし、各分野の専門家と市民代表で組織するデザイン委員会に、月1回のペースでそれぞれの地区の特性を考慮した駅空間デザインを提案し、議論を重ねてプランを固めていく。そのプロセスを通じて、初会合での「地元と一緒になって駅をつくりたい」という高木社長の言葉は「常に頭の中にあった」と語る。

◆歴史を投影し未来を表徴
 馬車道は、横浜の発展を担った歴史ある建造物が建ち並ぶ地区と再開発が進む新しい地区との中間に位置する。この場所性を踏まえた「過去と未来の対比と融合」をデザインのメインテーマとした。
 その最大の特徴がコンコース壁面のレンガだ。職人が手作業で仕上げた「張りものではない正真正銘のレンガ積み」であり、駅中央に位置する2層吹き抜けのドーム空間の壁には大正以前に広島で焼かれた古レンガが使われている。その陰影ある肌合いはまさに歴史の堆積そのものと言える。
 このレンガ壁は、「ほとんど水の中。潜水艦を設計しているみたいなもの」という、極めて高い地下水位に備えた漏水対策の仕上げ壁となる。天井も壁も、外殻コンクリートから水が漏れてきても内部に影響がないように水の道を考え、鉄道特有の列車振動にも万全の対策を講じている。
 直径22.5m、ドーム中央部での高さが11mという、地下とは思えないダイナミックな円蓋は「過去と未来の融合」を表徴する空間として、GRC(ガラス繊維補強セメント)で天井を形成。音響の専門家である唐澤誠氏との協働により、吸音性能の高いアルミ吸音パネルを取り付けるなど、良好な音環境にも配慮した。

過去と未来が融合するプラットホーム

 一方で、地下水に備える必要のない内部の柱などはすべてむき出しとした。「これまでの地下鉄の柱は電線や設備の配管などを包み込むことで張りぼてのように断面が大きくなっていた。このカバーや仕上げ材を剥がすことで、そのコストを函体の漏水対策のレンガ壁に回せる」と提案。防火区画用のシャッターレールも熱押出鋼でよりコンパクトにし、構内やプラットホームの視認性を高めている。
 プラットホームには、照明や空調の吹出し口などを一つのボックスに収めた新しいシステム天井を導入したほか、浮遊感ある透明なベンチも設置した。アクリル一体成形によるキャンチレバーのシンプルなデザインは、まさに近未来を想起させる。
 他方、街と連動した「駅の在り方」として、「横浜の歴史が堆積していくような場所をつくる」ことも提案した。当時、市内で歴史的な建造物が取り壊される際に主要なパーツを保管していると聞いたことがきっかけだった。「それをレンガ壁に展示し、この地下空間が横浜の記憶をとどめる場所になればいい」と。

西側コンコース。レンガ壁には「横浜開港史」


 かつて駅の地上部にあった横浜銀行旧本店別館の金庫扉、貸金庫、階段手すりなどのパーツは東側コンコース壁面に。さらに行き交う人の目を引くのが西側コンコースの壁面一体を飾る長さ45mの大壁画『横浜開港史』だ。明治から昭和にかけて活躍した建築家中村順平が手掛けた。「保存されていた実物を見て、これは大変だなと思った。鋳物に見えるけどじつは石膏だった。このプロジェクトで一番気を遣ったのはこれかもしれない」とも。
 「鉄道はやはり安全が第一でデザインはずっと後ろの方にある。だけど駅が街とともになければ鉄道は滅びるのだと、国鉄総裁も務めた高木さんはそう思ってメッセージを発したのではないか。そういう意味でも馬車道駅はよくできたと思う」と改めて感じている。

駅と都市、建築-受け継がれる価値を

 
 「交通はこれから変わっていかなければいけない。おそらくそう遠くない将来、ものすごく変わるはずです。ひょっとしたらラッチ(改札)がなくなるかもしれない。顔認証になって駅と街の区切りがなくなり、駅と街が溶けていくみたいな、それこそ高木さんの言ったような話で、そうなったときがたぶん一番面白い。その駅の構内近くまでセカンドモビリティーが来て、それに乗ると街中どこにでも行けるような、そういう近未来があるはずだが、まだ鉄道事業者はそこまで踏み込めていない。ここ10年で沿線の駅は少しずつ変わりつつあるが、まだまだ全然足りない。もっと面白いことができるはずです」
 「駅は公共建築の中の公共建築だと思っている。公共という意味では駅施設が一番大きい。例えば立派な美術館をつくって年間100万人も来れば大盛況。だけど新宿駅は1日300万人。渋谷は250万人です。こんな公共空間は世界にもない。だからもっと駅を見直して社会資本をもっと投下すべきだと思っている」
 「鉄道各社の役員クラスがそろう首都圏の鉄道を考える勉強会に10年ぐらい出ている。そこのデータを見るとあと3年ぐらいで首都圏の鉄道利用者の利用形態が激変する。団塊世代がリタイアして非常勤になり定期券利用者が激減するわけです。さらにそのすぐ後には団塊ジュニアが定年を迎えてくる。これからの人口の質の変動で劇的に変わる。地域社会も常に動いている。その中で鉄道駅がどうあるかを考えるべきです」

 「一方、その先には団塊の世代が免許を返上する時期があって、そうすると頼りはやはりマストランジットとなる。鉄道は都市にとって必要欠くべからざるものであり、この10年で利用形態も鉄道の意味も駅の意味も徐々に変わってくるはず。だからこそよく考えてきちんと造ってほしい」
 「都市も変わっていく。超高層をいつまで建てるのか。オフィス需要が変わったらもう使い物にならないかもしれない。なぜこんなに超高層を建てるのかずっと疑問を抱いています。違うプログラムがいくつかあって、その中の一つとしてはあると思うけど、いまは猫も杓子もみんな超高層。10年後、20年後に超高層マンションは住んでいる人が高齢化して超高層スラムになりかねない。いま見ている風景はスラムの風景に変わっていくかもしれない。そうなったときにどこが生き延びることができるか。周囲にいい街をつくれていたところが生き延びるはずです」
 「超高層オプションしかないのではなく、ちょっと違う中層高密とか低層高密のスキームがあるべき。たとえば中層高密にしたら投資回収はちょっと先に延びます。だけどこれはいい環境ができるので安定的にファイナンスできますというような別のオプションがあれば、そちらに投資する人がいるかもしれない。もうちょっと長い目で、こちらは20年、あちらは50年というレンジの違うオプションを用意する。どこか先鞭を切るディベロッパーがいないかと思っています」
 「そういう意味で横浜市には都市デザイン室があって、ある程度それができていた。そういうバトンがずっと手渡されてきて、時間的なレンジが長い価値を創り出そうとしてきた。飛鳥田元市長の時からもう50年。政治が右に行っても左に行っても、持続的な取り組みを役所の中で保持できたということがとても大きい。受け継がれた伝統、バトンみたいなものをちゃんと育てるという持続的な取り組みこそが横浜固有の価値なのだと思います」

 「建築家が備えるべき能力とは会っていない人のことをどれぐらい想像できるかだと思っている。いろいろな人と会う機会は多いが、その人たちは単に声の大きな人かもしれないし、その背後にいる声を出さない人が大多数かもしれない。建築は未来に向けてつくるわけだから、まだ会っていない未来の時間を生きる人たち、本当のユーザーはそこにいるかもしれない。現在に至るまで時間を生み出してきた過去の人もいるし、それ以前の歴史的な人もいる。そういう会えない人に対してどれぐらいイメージを持てるかが建築家の本来の資質なのではないかと思う。一番求められる能力は、そうした会っていない人たちの声をどれだけ感じ取ることができるかなのではないか。それを建築の形や空間にまとめる。いまという瞬間に結実させる、ということが必要だと考えてどの建築の設計にも臨むようにしています」

みなとみらい線
 事業主体の横浜高速鉄道は、横浜市と神奈川県、日本政策投資銀行、東急電鉄(現東急)はじめ民間企業などが出資する第三セクターとして1989年3月に設立。90年に第一種鉄道事業免許を取得し、92年に工事着手した。横浜を代表する地区を結ぶ、横浜らしい個性と魅力ある鉄道を目指す中で、5つの駅を街の発展をリードする公共空間と位置付け、オープンスペースを積極的に確保。地区の特性に合わせてアーチやドーム構造、吹き抜け空間などを取り入れるなど、従来の地下鉄駅にはない地域の財産となる個性的な駅をつくりあげた。2004年2月開業。同年に「グッドデザイン賞」(建築・環境デザイン部門)、「鉄道建築協会賞」「日本鉄道賞」を受賞した。06年には「土木学会デザイン賞」優秀賞に輝き、「わが国の地下インフラ施設のデザインとして、現段階における最高レベルに到達している」(講評より抜粋)と高く評価された。

                  

「建築とまちづくり」/8月22日に内藤廣講演会
 横浜市建築局は、建築家の内藤廣氏を講師に招き、「建築とまちづくり」と題した講演会を8月22日に開く。「横浜市公共建築100周年」事業の一環。会場は同市内の関内ホール。時間は午後1時から2時30分まで。定員は600人(先着順)。無料。申し込みは7月19日正午から「横浜市公共建築100周年」ウェブサイト(https://www.city.yokohama.lg.jp/business/bunyabetsu/kenchiku/kokyokenchiku/kokyokenchiku100th/)で受け付ける。
 講演会終了後には、同じく100周年事業として実施している「根岸森林公園トイレ設計コンペ」の公開ヒアリングも午後3時から開く。



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