【記念シリーズ・横浜市公共建築】第50回 横浜赤レンガ倉庫/近代100年の夢 現代の技術で表現 | 建設通信新聞Digital

4月29日 月曜日

横浜市公共建築100年

【記念シリーズ・横浜市公共建築】第50回 横浜赤レンガ倉庫/近代100年の夢 現代の技術で表現

©2022 YOKOHAMA RED BRICK WAREHOUSE

 明治末期から1世紀を超える時を刻み、その時代の要請に応じた役割を果たしてきた『横浜赤レンガ倉庫』。明治期を代表する建築家、妻木頼黄が設計したこの歴史的な建物は、「港の賑わいと文化を創造する空間」をコンセプトに文化・商業施設として再生され、2002年の開業以来、累計1億1000万人以上が来場する横浜を代表する観光スポットとなっている。改修設計を担当した建築家の新居千秋氏(新居千秋都市建築設計代表)は、「この空間にしかない『気』を読み、次代に残していくこと」が重要だったと強調する。

◆建築家(新居千秋都市建築設計代表) 新居千秋氏に聞く

建築家(新居千秋都市建築設計代表)
新居千秋氏

 新居氏は、『水戸市立西部図書館』で受賞した吉田五十八賞の審査委員長だった建築史家の故村松貞次郎氏から「いままで外観、様式、素材などが歴史的建物の保存に値すると考えていたが、空間もその評価に入るね」と言われたことが、「その後の建築をつくる支えになっている」という。「空間も歴史的遺産になる」という村松氏の言葉は、「横浜赤レンガ倉庫を保全するときの目標になった」とも。
 このプロジェクトは明治時代の大建築家、妻木頼黄設計による組積造建築の完成形といえる赤レンガ倉庫を、保存を超えて積極的に活用して保全していくもの。ただ活用方針が定まる前に外観主体の保存工事として構造補強と屋根改修が完了しており、電気やガス、空調のスペースも階段もなく、文化施設や商業施設としては建築基準法、消防法に適合しない危険な状態でのスタートとなった。
 このため、「フランスのオルセー美術館のように用途に合わせて内部をかなり改修する方法をとった」とふり返りつつ、「保存や保全を考えるときに大事なことは、その建物や場所の『気』だ。建築史家クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ言うところの『ゲニウス・ロキ=その場所に集まり来たるもの』であり、それによって発せられる気を読まなければいけない」と指摘する。
 官民のパートナーシップによる事業体制を敷いたのもこの事業の特徴の一つ。国から土地・建物を取得した横浜市から、第三セクターの横浜みなとみらい21が1、2号棟を賃貸借するとともに2棟間広場の管理を受託。1号棟は横浜市芸術文化振興財団が文化事業を運営し、2号棟は事業者公募で選ばれたキリンビール、サッポロビール、ニユートーキヨーが出資する横浜赤レンガが商業施設のテナント運営を行う。この複雑な事業フレームを総合的にコーディネートし、インタラクティブな関係をつくり上げる媒介となったのが新居千秋都市建築設計だ。
 施設の設計監理に加え、全体計画のファシリテーターとして官民さまざまな組織との調整役を担った。さらには2号棟での商業施設のコンセプトづくりとデザインガイドライン、内装設計指針の作成によるテナントデザインコントロールなども主導した。
 「キング・クイーン・ジャックの横浜三塔に対して、赤レンガ倉庫はジョーカー。当時ほとんどの人が成功するとは思っていなかった」という。それでも「赤レンガ倉庫の持つ力を信じていた横浜みなとみらい21の若竹馨氏ら、横浜赤レンガの村澤彰氏、杉一郎氏らと私たちは、TRIVE(TRY+LIVE=挑戦と躍動)を合い言葉に、大人の街をつくるために商業コンサルタントを使わず、独自のチームをつくり一から取り組み試行錯誤を重ねた。そのチームを献身的に支えたのが竹中工務店の山田健夫氏、中嶋徹氏らだった」


夜景(写真上)と2号棟内部(写真下)。保全工事では建物から離れた場所に1、2号棟共通の供給設備棟を設置。1、2号棟では設備配管などで新たに設ける開口補強のため、構造設計家の今川憲英氏とともに目地の耐力を上げることでレンガ壁全体の強度を高める新たな手法を導入し、エポキシ樹脂を1号棟に5万本、2号棟には7万5,000本注入した


 官民さまざまな組織との「200回を超える打ち合わせ」を通じて「民間と公共とは決定のメカニズムも説明に使用する言葉も違う。今後、PFIも含めて日本の開発プロジェクトの中で公共と民間の間に立って、その両者の主張するところをまとめたりスムーズにするだけではなく、建築の空間にまで高めていく仕事は必要」と実感。そうしたファシリテーターの役割は「建築家こそ担うべきだ」と確信を込める。
 テナントを含め、多様な主体がかかわるだけに「全体構想をつくるには、それを一つにまとめるストーリーが必要」とも指摘。「この赤レンガ倉庫が生まれた時代である『ファーストマシンエイジ』」を1号棟、2号棟共通のデザインコードとしたことについて、「人間の努力や挑戦が目に見えた時代、機械への憧れ、未来への夢が語られた、その時代の精神や時代感覚を、現代の技術を使ってよみがえらせ、継承することで他に類を見ない空間づくりを目指そうと考えた」と説明する。横浜赤レンガ倉庫は「ファーストマシンエイジのスピリッツが積み込まれたタイムシップ」だとも。
 「歴史的建造物を現代によみがえらせるためには空間イメージを共有することが重要」として、赤レンガ倉庫の空間づくりには「脚本(スクリプト)を作って、言葉と図によって空間イメージを共有化していく」方法論である「デザイン・スクリプト」の考えも導入した。本物の価値をいかに残し、活用に必要な機能をいかに新設するか明確に示し、新旧の調和が細部にわたって緻密に計られた完成度の高い建物・インテリアを実現したことに、日本建築学会賞(業績)、ユネスコ文化遺産保全のためのアジア太平洋遺産賞を受賞するなど、国内外から高い評価を得ている。
 新居氏は「活用上必要最小限の手を加え、倉庫の持つ空間や雰囲気を守りながら、その中に私たちの時代も同時に表現する、そういう保全のスタンスで、できる範囲のことはやった」と手応えを口にしつつ、「一つの建物をただ単体で残すというよりは、アーバンデザインの視点で、まちの景観としてどう残すのか、まちの中にこの建物はどういう機能で残してあげれば一番寿命も長く、人びとにとって必要な建物になるかを考えることが重要だ」と指摘する。
 これからの公共建築についても「その場所にしかない、ワン・アンド・オンリーでなければ造っても意味がない。そこにしかないものを丁寧にスタディして造るしかない」とした上で、「建築家の重要な仕事の一つはそこにいて良かったと思う場所、次も来たいと思える場所をつくること。何かストーリーをつくってそのまちの人たちが自信を持てるような場所をつくる。人の心がどれだけ長く続いて頑張れるか。サステナビリティーは機能ではなく、人の心ではないか」と提起する。

1号棟ホールを拠点に開かれる創造的ダンスの祭典「ヨコハマダンスコレクション」は今年で28回目を迎える。これまでに500組以上の振付家を世界に送り出したコンペティションのほか、近年の受賞者による公演、国際的に活躍する振付家による新作、海外のダンスフェスティバルとの連携プログラムなど、12月1日から17日までの会期中、多彩なプログラムが展開される。写真はYDC2019 エラ・ホチルド『Futuristic Space』(Photo:菅原康太)

難易度高く随所に創意工夫
元横浜市建築局公共建築部長・馬淵建設建設事業本部顧問 恵美須 望氏

 私は、2000年4月から2年間、港湾局の赤レンガ倉庫等担当係長として、改修工事に関する技術的な調整に関わりました。当時の高秀(秀信)市長はこの赤レンガ倉庫に対して相当思い入れが強かったと記憶しています。建物や外部空間のしつらえに関して市長から直接注文が来ることが何度かありました。
 設計者の新居(千秋)さんもものすごくこの仕事にパワーを注ぎ込んでいたと思います。とにかく議論が好きな熱量の大きな人だったので、それにつきあうのが大変でした。役所だけでなく、民間の事業者と協力しながら進めた事業ですし、あれだけいろいろな人の意見を聞きながら調整するのはなかなかないことでした。仕事としては忙しくて困難なこともたくさんありましたが、記憶に残る楽しい2年間だったと思います。
 赤レンガ倉庫の工事は、全体を通して、新築工事にはない、随所に施工上の創意工夫が求められる極めて難易度の高い改修工事だったと思います。
 特に、1号棟3階のホール部分では、庫室二つ分のスペースが必要だったために、庫室同士を区画していた厚さ58cmの間仕切レンガ壁を一面丸ごと撤去する必要がありました。既存壁の撤去によってそれまで支えていた屋根が変形しないよう、あらかじめ壁の両側に補強用の鉄骨トラスを設置した上で、壁の上部から徐々に撤去を進めるという、極めて慎重な施工が求められました。
 また、重量がある舞台照明、音響設備などを吊るために、ホール部分の既存トラスはすべて新しいトラスに架け替える必要がありました。ホール部分のこうした工事は、上部からの搬入口がなく大型重機も利用できない中で、効率性と精度が求められる非常に難易度の高い作業でした。
 2001年の秋には、1号棟が横浜トリエンナーレの会場となったため、3カ月間工事をほぼ休止せざるを得ない状態となったのですが、それでも工期内に収まった。竹中工務店が頑張ってくれた。さすがだなと今でも思います。
 開業から20年、リピーターが多いと聞いています。とてもうれしいですね。リニューアルオープン後も引き続き何度も足を運べるような施設であってほしいと願っています。

◆そこにしかない場を次代に

 日本最初の近代的な港湾施設として新港ふ頭建設の一環で造られた国の保税倉庫で、1911(明治44)年に2号倉庫、13(大正2)年に1号倉庫が竣工した。両棟合わせて建設当初で636万個の国産レンガを使用。耐震性向上のため、レンガの壁体に帯状の鉄を水平に積み込み、要所を鉄柱で垂直に固定する「碇聯(ていれん)鉄構法」を採用したほか、ドイツ式コルゲート板、英国製の鉄骨柱と梁といった一部の建築資材や機器は海外調達するなど、当時の技術の粋を集めたレンガ組積造建築の完成形といえる。日本最初の荷物用エレベーターやスプリンクラー、防火扉などを備えた世界に誇る最新鋭の倉庫として、その後国の保税倉庫の手本にもなった。
 関東大震災による多大な被害からの復旧や、終戦後10年にわたる米軍接収など苦難の時期を乗り越え、長く横浜の発展を見守り続けたが、海上輸送のコンテナ化が急速に進み、広大なコンテナヤードを備えた新しいふ頭が整備される中で倉庫としての役割が低下し、取扱貨物量は激減。89年に用途廃止となり、その歴史にいったん幕を下ろした。
 92年横浜市が国から土地・建物を取得。94年から99年にかけて保存工事、2000年には活用のための内部改修工事に着手し、02年4月新港地域の新たなにぎわい拠点となる文化・商業施設として生まれ変わった。

◆新しい“扉”6日にリニューアルオープン
 開業から20周年を迎えた2022年、その歴史をさらに後世に引き継ぐため、1、2号棟とも6月から休館して実施してきた空調、電気設備の更新工事が完了、12月6日リニューアルオープンする。「BRAND NEW “GATE”」をコンセプトに、横浜と世界、日常と非日常、過去と未来をつなぐ新しい扉として、新規出店25店舗を含む66店舗がお目見えする。

◆施設概要
▽所在地=横浜市中区新港1-1
▽規模・構造=レンガ組積造一部S造3階建て
▽全体延べ床面積=1万7163㎡(1号棟5575㎡、2号棟1万0755㎡)
▽施設内容=ホール、展示スペース、商業施設(物販、飲食その他)ほか
▽設計=新居千秋都市建築設計、(構造設計)TIS&PARTNERS
▽施工=(1号棟)竹中工務店・小松工務店JV、(2号棟)竹中工務店
▽竣工=2002年3月

 



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