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5月11日 土曜日

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【45°の視線】建築史家・建築批評家 五十嵐太郎氏 寄稿 香港のM+で考えたこと

◆公立デザイン・ミュージアムの必要性

 とっくの昔にオープンしているはずだったが、完成が遅れに遅れ、やっと開館したと思ったら、2021年というコロナ禍のタイミングにぶつかり、なかなか行けなかった香港の美術館、M+をようやく訪れた。設計はヘルツォーク&ド・ムーロンが担当し、現在、急速に開発が進む、ウエスト・クーロンの核となる建築である。このエリアは、中国大陸から高速鉄道に乗ると、終着となる九龍駅とのアクセスが抜群に良く、今後、さまざまなタイプのパフォーミング・アーツ系の施設が次々と完成する予定だ。

M+で展示されている倉俣史郎デザインの寿司店


 M+のまわりは公園として整備され、日曜日には大勢の人でにぎわい、屋内外の無料ゾーンが公共空間として積極的に使われていた。また海沿いに位置し、上部は看板のような細長い直方体のボリュームをもち、日が落ちると、そこが巨大なスクリーンとなって、対岸の香港サイドから見られることを意識している。もちろん、展示室も広大であり、天井も高く、変化を続ける現代アートに対応するだろう。

 東京の主要な美術館は、1990年代から2000年代に出そろったのに対し、M+は最先端の現代美術館というべき施設だった。いわば周回遅れのトップランナーである。ちなみに、香港の物価は既に日本より高く、香港に行けば、安くておいしいものが食べられるという時代は過去になっていた。

 さて、M+で特筆すべきは、現代美術だけでなく、建築やデザインもコレクションの対象とし、展覧会を行っていることだ。既に倉俣史郎がデザインしたすし店をまるごと館内に移築したことで話題になったが、この作業は建設したときの職人を再度集めて、慎重に進めたことが映像で紹介されている。またアーキグラムのアーカイブをまとめて購入しており、模型やドローイングのほか、彼らが使用した道具なども展示されていた。

 筆者が訪れたとき、アジア圏における近現代のデザイン史を振り返る「もの、空間、インタラクション」展では、以下の日本人の建築家やデザイナーの作品が紹介されていた。磯崎新、黒川紀章、菊竹清訓(エクスポタワーのユニットの一部も実物を展示)、メタボリズム、ソニービル(写真だけでなく、マリオン材の実物があり、ソニーのウォークマンと併せて紹介)、帝国ホテル、柳宗理、剣持勇、大橋晃朗、内田繁、梅田正徳、田中一光、石岡瑛子、山口晴美、横尾忠則。デザイナーについては、基本的に椅子や家具、ポスターなどの実物が展示されていた。1960年代から80年代の日本の建築とデザインが、アジアに大きな影響を与えていたことがよくわかる。もっとも、この展示を鑑賞しながら、なぜこれらの作品を香港で見ているのか、と複雑な気分になった。

 言うまでもなく、その理由は、日本に公立の大きなデザインの博物館がいまだに存在しないからである。三宅一生は、国立デザイン・ミュージアムをつくろうという運動を展開していたが、実現していない。彼は21_21 DESIGN SIGHTの創立に関わったが、これは公立ではないし、コレクションをもたず、企画展をまわすための展示施設である。日本の建築界も、お金があったバブルのときに、建築博物館を設立しておけば、良かったと思う。なお、国立近現代建築資料館は、基本的に図面などのアーカイブ、すなわち収集と保存を主要な目的とし、展示がメインではない。が、これだけでは海外への流出は止まらないだろう。

 ポンピドゥー・センターは、日本建築の図面や模型を積極的に収集し、近現代のアートとともに展示している。丹下健三の多くの資料も、米国の大学が所蔵し、解体された中銀カプセルタワーのカプセルは、おそらくM+など、海外の美術館が購入するだろう。また芝浦工業大学の豊洲キャンパスで「伊東豊雄の挑戦 1971-1986」展が開催されたが、ここで紹介された貴重な図面や模型は、CCA(カナダ建築センター)に寄贈される。資料をデジタル化し、ネットで公開されることも含めて、有効に活用されると考えたからだろう。日本における美術館の数は多いが、大阪中之島美術館や宇都宮美術館などをのぞくと、デザインも収集するところはまだ少ない。

 

(いがらし・たろう)建築史家・建築批評家。東北大大学院教授。あいちトリエンナーレ2013芸術監督、第11回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展日本館コミッショナーを務める。「インポッシブル・アーキテクチャー」「装飾をひもとく~日本橋の建築・再発見~」などの展覧会を監修。第64回芸術選奨文部科学大臣新人賞、18年日本建築学会教育賞(教育貢献)を受賞。『建築の東京』(みすず書房)ほか著書多数。

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