【45°の視線】建築史家・建築批評家 五十嵐太郎氏 寄稿 破壊と創造の物語『ウエスト・サイド・ストーリー』 | 建設通信新聞Digital

4月29日 月曜日

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【45°の視線】建築史家・建築批評家 五十嵐太郎氏 寄稿 破壊と創造の物語『ウエスト・サイド・ストーリー』

 前回取り上げたミース・ファン・デル・ローエが設計したニューヨークのシーグラム・ビル(1958年)と同時期のマンハッタン島の反対側を舞台にした映画が公開された。スティーブン・スピルバーグ監督が初めて手掛けたミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』(2022年)である。もともと1957年に初演された同名のミュージカルは、61年に『ウエスト・サイド物語』として公開されているから、二度目の映画化だ。既に旧作はバーンスタインの名曲群も功を奏し、傑作ミュージカル映画として高い評価を得ていたが、新作はそれをしのぐ内容である。

 まず有名な俳優よりも、実力派をそろえ、見事な歌とダイナミックな踊り、そしてグスターボ・ドゥダメルが指揮する演奏のいずれもが素晴らしい。なお、旧作は、スターだったナタリー・ウッドをマリア役に選び、歌は吹き替えだった。また新作はステディカムの技術進化によって、ダンスにあわせて、カメラも街の中を激しく移動している。旧作はカメラをしばしば固定しており、しかも室内セットのシーンが多い。もっとも、新作はあえて撮影はデジタルではなく、フィルムを使うほか、VFX(ビジュアル・エフェクツ)の効果に頼らない、生の人間が表現する音楽とダンスの力を最大限に発揮している。そして屋外のロケをメインにしたことも、新作の醍醐味(だいごみ)だろう。
 ただし、舞台版と同じく映画が設定した57年のウエスト・サイド(64丁目から71丁目辺りのサン・ファン・ヒル)は激変しており、ロケハンを行い、ニューヨークの各地ほか、ニュージャージー州のパターソン市が撮影に使われた。パンフレットによれば、標識、街灯、エアコンをすべて除去したり、トタン製のごみ・バケツをそろえたり、ビルの壁に下地処理をして塗装を施すなど、街の風景を変え、50年代の雰囲気を出したらしい。

◆過去の街に不朽のミュージカルが新たな命
 この物語が現代版の『ロミオとジュリエット』であることを示唆する、非常階段での再会シーンでは、ワイントンハイツ地区のブロックを丸ごと借り切ったという。他にも、体育館のダンスはカトリック系の学校、「アメリカ」の曲ではハーレムやクイーンズの路上など、警察署はブルックリンの教会ホール、ギャングの内紛が起きる波止場は荒れ果てたフェリーターミナル、決闘はブルックリンの海軍工廠(旧作は、ウエスト・サイド・ハイウェイの高架下のセット)、百貨店はニュージャージー州の古い銀行のロビーにそれぞれ手を加え、本物の空間を使うことにこだわっている。
 また、マリアとトニーが結婚を誓うシーンは、クロイスターズ美術館(38年)で撮影された(旧作では、百貨店のセット)。ここはフランスの中世建築を移設しつつ、再構築したメトロポリタン美術館の別館だが、それゆえスタンドグラスのある教会のような場になった。
 特に印象的なのは、冒頭のスラム街の解体現場だろう。旧作はそれほど廃墟を強調しないが、新作の脚本には「ドレスデンかヒロシマのような光景が見渡す限り続くだけだ。かろうじて画面の隅に、リンカーンセンターの鉄骨が築かれ始めている」という一節まである。実際、新作ではリンカーンセンターや高層ビルの完成予想図が登場し、ニューヨークの大改造を推進したロバート・モーゼスへの批判や「立ち退き反対!」などのプラカードをもった路上のデモもちらっと映っていた。

新作では完成予想図が登場するリンカーンセンター

 渡邊泰彦『評伝ロバート・モーゼス』(鹿島出版会、2018年)や『ジェイコブズ対モーゼス』(鹿島出版会、11年)などで紹介されたように、彼はモダニズム的な開発によって、ニューヨークの骨格を築いた人物である。逆に『アメリカ大都市の死と生』(1961年)で知られるジェイン・ジェイコブスは、こうした強引な都市計画を批判した。つまり、『ウエスト・サイド・ストーリー』は、貧しい白人やプエルトリコの移民が暮らした下町的なコミュニティーが消えさろうとするさなかの物語なのである。

 彼らの居場所がなくなった後に誕生したのは、オペラやバレエを含む、パフォーミング・アーツの複合施設だった。もちろん、リンカーンセンターは、ハイアートにおいて重要な役割を果たしている。一方、破壊された過去のウエスト・サイドは、不朽のミュージカルになって記憶に残り、新しい生命を獲得した。




(いがらし・たろう)建築史家・建築批評家。東北大大学院教授。あいちトリエンナーレ2013芸術監督、第11回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展日本館コミッショナーを務める。「インポッシブル・アーキテクチャー」「装飾をひもとく~日本橋の建築・再発見~」などの展覧会を監修。第64回芸術選奨文部科学大臣新人賞、18年日本建築学会教育賞(教育貢献)を受賞。『建築の東京』(みすず書房)ほか著書多数。



 

  

   

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