あの日の記憶が深める絆
「ブイ!ブイ!ブイ!」という大きな警報音が鳴り響いた直後、東日本大震災が発生しました。この経験は、私の人生観を大きく変えました。私は浜松市で育ち、幼いころから「東海大地震」が来るといわれ続け、毎年9月1日の防災訓練にも参加していました。ただ実際に大地震を経験することはなく、どこか他人事でもありました。1988年に仙台へ赴任した際も、宮城県沖地震について話を聞く機会は多くありましたが、やはり体験していないため、深刻には受け止めていませんでした。しかしその後、宮城県を襲った大きな地震を全て経験することになり、特に東日本大震災の記憶は今も鮮明に残っています。
震災当日、私は仙台港近くの商業施設で改修工事の打ち合わせ中でした。会議の途中、全員の携帯電話が一斉に鳴り「地震です」と告げられました。その後の記憶は曖昧ですが、携帯電話もつながらなくなり、当時建築課長だった私は「まずは支店へ戻らないと」と車で仙台市内の支店へ向かいました。
渋滞の中、車載テレビには信じられない光景が次々と映し出されました。「仙台空港を津波が襲っています」「大型トラックが流されています」「名取川を津波が遡上(そじょう)」「港で火災が発生」--まるで映画のような映像が続きました。普段30分の道のりを3時間以上かけ、ようやく支店へ戻りました。信号は消え、停電した街、コンビニに並ぶ長い列--不安な光景が広がっていました。支店に入ると支店長の「無事だったか」という声。私はすぐ「大変です。津波が…」と伝えました。
幸い、家族と自宅は無事でした。しかしその後は、支店に1カ月以上寝泊まりし、緊急対応から復旧・復興工事に没頭しました。原発事故、余震、被災者・行方不明者の増加、地域壊滅、略奪の報道……。眠れぬ夜と恐怖の中で必死に仕事を続け、当時の映像や気持ちは今でも忘れられません。
あれから15年。仕事で訪れる石巻、志津川、仙台港では、景色が変わっていながらも、震災前の姿や復旧工事の砂ぼこりと喧騒(けんそう)を思い出します。あの大震災を現地で経験し、復旧・復興・再生に携われたことが、幸運なのか不運なのか複雑に感じる時があります。同時に、当時の自分の行動を誇りに思う瞬間もあります。
今も全国で熊本地震、能登地震など大きな地震が続き、今後は南海トラフ地震も想定されています。「建設業は地域の守り手」と言われます。東北では、被災者からの感謝、支援者との絆、ともに乗り越えた時間が今も語られています。「あの時どこで何をしていたか」が、人とのつながりを深めるきっかけにもなります。
東北の真の復旧・再生にはまだ時間がかかると思いますが、これからも地域の守り手として、人々の笑顔を見守り続けたいと思います。

