水インフラが支える命と未来
東日本大震災から15年。あの日の記憶は、今も私の心に深く刻まれています。発災当日、私は宮城県沿岸部の自治体へ営業に向かう予定でした。しかし、前日にキャンセルの連絡があり、技術の部長と共に福島県の会津方面へ向かっていたのです。もし、あのまま沿岸部に向かっていたら、自分も命を落としていたかもしれない。そう思うと、今でも背筋が凍る思いです。発災後、携帯電話はつながらず、高速道路や交通機関は完全にまひ。仙台に戻れたのは翌日の朝方でした。その間、ラジオから流れてくるのは、津波到達後の沿岸部の都市が「壊滅」という言葉で伝えられる惨状でした。広範囲にわたる浸水被害で街は泥とがれきに覆われました。ライフラインが全停止し、死者1万5900人、行方不明者2525人という甚大な被害となったのです。多くの人々が日常を奪われました。私は当時、上下水道専門コンサルタントの営業として、発災直後から情報収集に奔走しました。被災地の水道管の被害状況や、下水処理施設の機能停止、そして何よりも、安全な水が手に入らない住民の苦境。特に印象的だったのは、宮城県三陸地方の自治体との関わりです。津波により水道施設は全て機能停止となり、自治体の担当者の方々は、被災直後は施設の復旧に立ち向かえる状況ではないようでした。具体的な復旧の提案をするよりも、「まずはこの方々に寄り添い、共に何かを進めていくしかない」。そう強く感じた私は、現地に足を運び、彼らの話に耳を傾け、人々の命と健康、そして日常を取り戻す手助けをすることの重みと尊さを感じました。復旧・復興の過程では、多くの困難に直面しました。地盤沈下や洗掘による管路の破損、塩害による水源設備の停止、そして限られた予算と時間の中での最適な復旧計画。自治体の方々と膝を突き合わせ、共に解決策を探る日々となりました。
15年がたち、私は今も地域の水インフラ事業のお手伝いをする立場にいます。ライフラインは住民の生活に極めて重要で、当たり前のように温かい風呂に入り、蛇口から水が飲めて、何の不便もなくトイレを使用できることが、どんなに幸せなことか。この震災で得た教訓を胸に、災害に強いまちづくりに貢献し、当たり前の日常を守るためにコンサルタントとして何ができるのかを考えています。この問いかけこそが、私の仕事の大きな原動力であり続けています。
あの日の失望感から、今は「水インフラ」が未来を支える大切な要素だと感じています。この経験は、地域の方々の声に耳を傾け、寄り添うことの重要性を教えてくれました。当時、共に困難に立ち向かい、復旧・復興に向けて尽力してくださった自治体の担当者の皆さまには、今も感謝の念が尽きません。これからも、この経験を胸に、地域に寄り添い、安全で安心な水環境を次世代へとつないでいけるよう、微力ながら貢献していきたいと考えています。そして、いつかこの地域の子どもたちが、震災の悲劇だけでなく、そこから立ち上がった人々の強さと、復旧・復興の歴史を忘れずに、未来への希望を持ち成長していく、そんな社会づくりの一助となれれば幸いです。

