【佐藤直良のぐるり現場探訪】卓越した技術と情熱あふれる鉄鋼加工現場 佐藤鉄工の工場を見学 | 建設通信新聞Digital

4月29日 月曜日

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【佐藤直良のぐるり現場探訪】卓越した技術と情熱あふれる鉄鋼加工現場 佐藤鉄工の工場を見学

 北陸新幹線で富山へ。若いころ、米原回りで相当の時間を掛けていた時代とは隔世の感がある。今回は「ぐるり現場探訪」で初となる鉄鋼加工現場の工場見学。目指すは富山県立山町の地元を代表する老舗企業の佐藤鉄工だ。富山駅からの道中、目の前には、雪化粧した立山連峰がまるで別世界のようにそびえ立っていた。
 佐藤鉄工は1862年、初代佐藤助九郎が富山県柳瀬村において佐藤組を創業して以来の歴史を持つ。後に佐藤工業に組織変更したのち、1973年に佐藤工業より独立し、佐藤鉄工となる。その社名のとおり、「橋梁」「水門」「鋼構造物」が主力であるが、「クロスフローシュレッダー」(複合材剥離機)を始めとした環境関連装置にも力を入れているのは意外だった。最近では、昨年に三菱重工メカトロシステムズから水門事業を承継したことでも知られている。
 旧知である千葉大伸日刊建設通信新聞社新潟支局長が車で4時間掛けて取材に同行してくれた。富山駅から彼の運転で佐藤鉄工本社工場の正門に到着。まず戸惑ったのは本社社屋がどの建物か判別できなかったこと。いわゆる業務用ビルを想像していたが、実際に目の前にした社屋は工場建屋と同様のたたずまいであり、生産部門を重視している姿勢を感じた。玄関前に到着したところ、役員クラスの方々の出迎えを受け、大いに恐縮した。

◆活気あふれる工場
 今回見学した製造工程主力の立山工場。広さは約12万㎡で東京ドーム3個分の面積を持つ。敷地内には、生産工程の主役である切断工場、第一鉄構工場、第二鉄構工場、第三鉄構工場が並んでいた。

切断工場

 切断工場では、NCプラズマ切断機、NCレーザー切断機、NCガス切断機が稼働中であり、鉄板の切断が目の前で行われ、臨場感ある製作状況を見学できた。
 第一鉄構工場の溶接エリアでは、中堅から新鋭の溶接技能者が、脇目もふらず溶接に没頭していた。曲り鉄管の溶接は特に高度な技術、すなわち長年の経験に基づく熟練の技が必要とのことで、ベテランの方しかできない仕事である。しばらく立ち止まって見ていると、職人技というよりは、以前垣間見た人間国宝の陶工の方の姿が思い浮かび、まさに「芸術家」の技に触れた感動に見舞われた。

誠実に仕事に取り組む村上さん(右)

 工場の中にひと際若い一人の青年が黙々と仕事を進めていた。弱冠20歳の村上洋介さんだ。すでに家庭を構え、溶接に係る資格も取得し、さらに上の資格へのチャレンジを目指す。「仕事はきつくないですか?」「先輩は怖くないですか?」と質問したところ、「上の資格へのチャレンジを目指しながら、楽しんで今の仕事をしている。工場長を始め、先輩たちは技術には厳しいが、優しく接してくれる」と応じてくれ、その一生懸命な姿勢と頼もしさに感服した。
 第三鉄構工場では、同社が開発する黄色い外観の小口径打撃式推進機「とんとん君」「ぶるぶる君」の掲示板がまず目に入った。堅いイメージの会社からは想像もできない、このかわいらしい名前の小口径推進機は、現場でスペースを取らずに掘削ができる優れものである。ちなみに掘削土の回収機はオプションとのこと。良い意味で会社のしたたかな営業戦略がうかがえた。

プラズマ切断機

 また、工場奥には「溶接試験場」なる場所があった。新入社員、若手社員専用の溶接ワークスペースであり、彼らが溶接の鍛錬を重ねた成果が所狭しと並んでいた。ここで聞いた古川巖水取締役常務執行役員の言葉が印象的であった。「ここは試験場ではなく、若手のための道場だ」。このような、若い「人」への熱い思いと積極的な投資がこの会社の未来を支えていくに違いないと確信した。

◆溶接技術への熱い情熱

藤田泰社長

 今回心温かく対応していただいたのは、藤田泰社長、古川取締役常務執行役員、橋本豊取締役常務執行役員管理本部長兼総務部長、中田知志取締役執行役員生産本部長兼橋梁・鉄構事業部長、堀務常務執行役員水門・鉄管事業部長、道林成介執行役員製造部長、野原徳博生産管理部長、山本勝製造部立山工場長である。和気あいあいとした雰囲気の中での意見交換だったが、技術を語る際には厳しい一面が垣間見られた。
 道林製造部長は、厚生労働省「ものづくりマイスター(電気溶接)」と富山県「とやまの名匠(溶接)」の認定を持つ、その道を代表する技術者である。東日本大震災後、福島原発対応でサイズなどが同じ貯水タンクを105個、2年ぐらい作り続けたハードな経験を持つ。製作サイドから見ると、コスト的には作れば作るほど量産効果があるものの、それだけでは満足しないのが、佐藤鉄工の技術者たちである。
 「昔、工場長と現地に泊まり込んで数カ月間溶接を行ったことがある。同種を大量に作ることは経営的にはよいが、やはり一品生産は達成感が違う」と技術者の醍醐味(だいごみ)を語る。
 昨年から若手を現場の外注業者や下請業者のところに勉強に行かせて、いろいろなことを吸収させている。自身もベテラン技術者として会社の若手教育に力を入れるだけではなく、富山県「ものづくり継承塾溶接コース」の講師を務めながら、外部コミュニケーションを積極的に行い、自己研さんのための情報収集も忘れない。
 経験豊富な熟練技術と、現場・技術に対する熱い思いあふれる指導の下、多くの若者が巣立てば、溶接分野の未来は明るいに違いない。
 山本工場長は、佐藤鉄工の工場で働く技術集団を取りまとめる大黒柱であり、道林部長に負けず劣らず技術に対し熱い思いを抱いている。特に工場見学の時に見せた、働く若手を見守る温かい視線が印象的であった。
 「昔は、今の3倍の従業員がいた。工場で製作したものを現場に持ち込んで、社員が溶接、組み立て、据付に行っていた。現場から学んだことがたくさんあった」と振り返る。

創業家である砺波市の佐藤家から移築した「あかずの門」の前で藤田社長ら佐藤鉄工の皆さんと筆者

 「その時は、大変だったけれども達成感があった。今は、工場の中だけで作っていることが多く、外の現場を知らない。工場の中で数多く標準化したものばかり作ると達成感や作った喜びがなくなっていく」と独自の技術に対する矜持(きょうじ)が伝わってくる。
 その一方で、技術レベルの達成感とともに、数と量も大事と、工場の総責任者として、経営のバランス感覚も忘れていない。
 工場の若手に対しては、まさに親の視点で接している姿に機械化が進み業界が失いかけている家庭的な雰囲気を感じた。「特に若い子には、できるだけ年の近いものが接するように最近は心掛けている」と自身は見守り役に徹し、工場全体の厳しさの中にも家庭的な雰囲気の形成に努めている。
 製造工程管理の中で、熟練技術者、工場責任者、見守り役の3役をこなす忙しい日々である。
 「熟練の技」を持つベテラン2人がそろって口にされるのは達成感と充実感であり、若手や部下への接し方は異なるが、溶接技術への情熱は変わらない。

◆ひとこと 佐藤鉄工の企業姿勢
 大量生産か一品生産か、自動化かハンドメイドか、企業にとって悩ましい課題である。同一規格品の大量生産は、製作サイドから見ると設備投資もしやすく、人員も確保しやすい。コストパフォーマンスもよいので、普通の会社であれば、そちらの方向に向かうのは当然である。ところが、佐藤鉄工の経営者、技術者たちは違う。ずっと同じものを作っていると、社員は変わったものを作りたい、難しいものに挑戦したいという気持ちになる。社員は、同じものを製造していると10個までは早くなっていくが、10個を過ぎるあたりで逆に効率が悪くなっていくという話は興味深い。
 そして、自動化かハンドメイドかという話。製造工程の自動化は、自動溶接ロボット、3次元プリンターなどが主流であるが、効率化、自動化の流れの中でも、溶接技術で人の手が必要な場面は必ずあり、そこが佐藤鉄工の技術力の見せ所である。そこには、国内トップクラスの職人の魂が息づいている。同社は、両方を組み合わせていきたいと意気込む。
 科学技術立国としてのわが国は、このような技術者たちに支えられていると確信した。少子高齢化社会が到来し、今後、ますます人手不足が深刻になる中、世の中では、流行のAI(人工知能)活用の話題がにぎやかである。しかし、佐藤鉄工には、自社にしかできない技術を追求したいという強い思いがある。先人たちが培ってきた技術の継承を考えたとき、やはり「人」に注目する佐藤鉄工の姿勢は、過去から首尾一貫ぶれていないという印象を受けた。
 社屋の奥には、会社の歴史を脈々と伝える資料室がある。初代佐藤助九郎が佐藤組を創業したのが江戸時代末期の1862年のこと。その後の幾たびかの困難と事業拡大の歴史がこの資料室に刻まれている。特に、多くの場所を占めていたのが、会社の行事や活動風景を撮影した数々のアルバム。そこには多くの過去の社員の姿があった。厳しい顔つき、笑顔…、時々の人間模様があふれていた。その社歴の中で、技術とともに社員を大切にしてきた重みある伝統が痛いほど感じられた。
〈5月23日取材。技術経営士(技術同友会認定)・佐藤直良〉

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