佐藤研吾建築設計事務所/一般社団法人コロガロウの佐藤研吾氏は、自身がつくる建築の姿や機能が時代とともに変化していくことをいとわない。むしろ、人々が自発的に「何を変えたら良いか」を考え、誰もが改変しやすい“動き続ける建築”を「目指したい」と語る。同時に、建築は一度つくられると長い間残り続けるため、「船のいかり」のような役割も持つべきだという。確固とした信念が宿るからこそ、変化できる–。福島県産材を使った木造のサテライトスタジオ西にもこの思いがこもる。
当初、半年という会期で終わる万博と、そのテーマである『いのち輝く未来社会のデザイン』に「ギャップを感じていた」という佐藤氏。「万博を開催することで、これからの社会、あるいは未来を良くすることが本当にできるのか疑問を抱いていた」。しかし、「限られた情報しか得られていない自分がその価値を判断することはできない。最初から拒絶するのではなく、その渦中に足を踏み込んで中からのぞいてみたい」と考え、設計者公募への参加を決めた。
公募参加に際し、「既に決まっている万博の大枠とは少しだけでも違う道筋を見いだせないか。万博を祝祭で終わらせてはならない」という覚悟で発案したのが、「移動することを前提にした建築」だ。「万博以後の社会がどうなっていくのか」という視点に本質があるからこそ、このスタジオは会期終了後、設計活動の拠点の一つである福島県内に移築し、常設することを計画。サテライトスタジオはある意味で「仮組み」の姿で、移築前後において、「材料の役割が変わっていく」ことがこの建築の肝となる。
というのも、会場の夢洲は埋め立て地で軟弱地盤のため、「重いコンクリートの基礎をつくることは合理的ではなかった」。このため、基礎には福島県産の杉の丸太を使用。当然杉は時間とともに腐っていくことから、常設時にそのまま基礎として使用することはできない。そこで、常設施設のコンクリート基礎の型枠や室内の家具として使用するというのだ。さらに最終的には、薪(まき)としてその施設のエネルギー燃料に使うことまで想定している。
そっくりそのままの状態で移築するのであれば「高耐久」につくることが常だが、「仮設でつくる良さと、常設でつくるときの要求は異なるところがある」からこそ、原型にこだわらず、「材料そのものの動き方、働きの移り変わり方をデザインした」
材料の役割だけでなく、用途も変わる。常設施設は、トレーラーハウスを接続するなど、「この場所を起点に人やさまざまな出来事が集まってくる」施設を思い描く。万博会場ではスタジオという用途の特性上、防音性を高め、内外を明確に分けていたが、「内外が自由に行き来できるような、半屋外的空間に刷新する」。これを見据え、初めから各所の壁を抜くことができる設計にしているという。
人や出来事の起点となる施設にする上で重要な役割を果たすのが、敷地を取り囲むリングだ。壁があるわけではないにも関わらず、包み込まれ、守られているような安心感があるのは、リングが“境界装置”の役割を果たしているからで、「神社のしめ縄にも通じる」と語る。柱や壁よりも「弱い存在」がつくり出す空間・領域に、可能性を感じているという。
今回、万博の当事者となり、「万博は国家あるいは官僚的なものというより、自分たちそのものだと気づいた」。SNS(交流サイト)全盛の現在、その情報で人々の意見は動き、世論が形成されていく–。「どんなに世論が動いたとしても、日本において建築計画は簡単には覆らない。世の中が短期的な印象と予測で判断される世界だとしたら、そんな偶有的な世界の中で変わり続ける建築が必要だと感じる一方で、建築は不安定な社会とは一線を画した世界を形づくる必要がある」と再確認した。
「“建ってしまう”ことは建築の可能性とも言え、その役割は大きい」。こうした時代、変化と定着を併存させることに、困難ながらも可能性を見いだすことこそが、動き続ける建築なのだ。