【明日のパレット(8)】建築家 新居千秋/においをまとう建築 | 建設通信新聞Digital

11月20日 木曜日

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【明日のパレット(8)】建築家 新居千秋/においをまとう建築


 私は山や海などの、風景だけ見る場所には行かない。つまり建築のないところには行かない。私にとって建築は宗教で、教育が趣味、3番目が私の「おくさん」、4番目が食べる・買う、そして5番目が旅行である。旅行の仕方は、事前に行く場所、見るべき建築を一つの都市で選ぶ。

 建築関係の案内書を見て、数カ所の建築の平面・断面図・見るべきポイント、鉄道の時間、タクシー、運転手付きの車のコストなどを調べて細目の計画書を作る。ピーター・ズントーの建築など、公共交通でたどり着けないものもあるので注意して調べ、地元の建築家や、海外で働いている卒業生にも聞いて詳細を決める。

 その後、建築以外の文化を知るために、その街のどこで食べ、どこで何を買うか調べる。日中は建築や美術館、博物館を見学し、夜はコンサート、その後は有名なレストランで食事をする。朝7時から夜12時までの細目を決める。この資料を作り終えると、頭の中にその街の建築、レストラン、デザインの良い服、時計や骨董品を見られる場所が思い浮かべられるようになる。

 家族は私の強行軍の旅は好きじゃないので来ない。昔、香港でノーマン・フォスターの香港上海銀行が近くに見えたので、母や子どもたちに「もう少し、もう少し」と言って歩かせ、結局3時間くらい歩かせた。その後、息子・娘は母と海外に行き、私といつも行ってくれるのは「うちのおくさん」だけになった。

 アメリカに留学する前に1年分の給料を出して買った一眼レフのカメラとカメラバッグ、小さな三脚を持って旅行した。アルヴァ・アアルトのユヴァスキュラ大学で、カメラと三脚を持って走り回っている東洋人を見つけた。彼はまだ東大の学生で、後に歴史学者になる三宅理一だった。以来親交がある。スライドで保存している写真は5万枚以上ある。

ルイス・カーンと

 安藤忠雄が『新居、建築はシーンやで。ひとつひとつの場所で感動させなあかん』と言ったように、若い頃の私は当時買ったカメラで写真を撮りまくっていた。

 留学中は富士フイルムの人が『黄色のコダックの空箱の上にグリーンの富士フイルムの箱を捨ててきてくれれば中身をあげる』と言うので、フィルムは無尽蔵にあった。日本の製品は世界に知られていない時代だった。

 良い建築は外観が小さく、内部が非常に大きなインパクトがある。ルイス・カーンが『パンテオンを見よ。建物は街の中に埋没している。そして建物の中に入ると忘れがたい空間がある』と言っていた。

ペンシルベニア大学建築学部図書館(別名ファーネスビル)の現在(上)と昔


 ルイス・カーンのstudioがあったペンシルベニア大学建築学部図書館(別名ファーネスビル)、ヴァルター・ベンヤミンが語るパサージュ、パディントン駅、ディーン&ウッドワードのオックスフォード博物館などの鉄部の美しさに惹(ひ)かれて何枚も写真に収めた。フランク・ロイド・ライトの落水荘、ベス・ショローム・シナゴーグ、ジョンソン・ワックス、ルイス・カーンのキンベル、ダッカ、ポールメロン、ル・コルビュジエのカーペンターセンター、ロンシャン、ラトゥーレット、ハンス・シャロウンのベルリンフィル、オットー・ワーグナーの郵便局、アンリ・ラブルーストのパリの旧国立図書館、コルドバのモスクなど、数多く写し、使っている人とも話した。

オックスフォード大学自然史博物館


パリ国立図書館ラブルーストの間


コルドバの大モスク・メスキータ


 『ワールド・アーキテクチャー・フェスティバル』で最終20人くらいに残った際、ロンドンの建築雑誌『The Architectural Review』の編集長がザハ・ハディドの建築を『犬がそこら中に小便しているラッピング建築だ』と非難し、『日本のARAIの内部空間を見ろ、すごいだろう』と言った。その後に『外観はイマイチだ』と言われガッカリした。メディアに多く掲載されているし、賞も数多くもらっているのに、五十嵐太郎にも時々同じにように言われるのが残念だ。

 写真が撮りにくかったのはロンドンにあるジョン・ソーン美術館だ。ルイス・カーンがRoomの起源だと語っていたもので、例えば絵のための部屋には4枚ずつの絵が周囲にあり、開けていくと庭が見られるというものや、ありとあらゆる変わった収蔵品に光が当たる様は圧巻である。こういう空間を写真に撮ったり、時間をかけてスケッチするのも難しい。

 近代は写真というツールができ、そのインパクトが絶大だったために、本当の建築から離れて、媒体、切り取られた印象、例えば篠原一男は『建築家の視点を強調して虚構で良く、建築家の思想が伝われば良い』としている。

 50歳ぐらいから写真を写すことをやめた。写真では表せないsomesthetic=身体性、居場所感、一瞬の風景のうつろいが重要だと考えたからだ。

 私は田根剛が言っているのとは真逆で、お気に入りの場所に何回も行き、写真や眼だけでなく、触れたり、においをかいだりすることが自分の建築に生きると思う。イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』の中でマルコ・ポーロがフビライ・ハンに語るような、いろいろな都市のにおいを持つ建築を作る、それがモダニズムを超えることだと考える。

 余談だがロンドンのボンドストリート、ニューヨークの5番街、シンガポールの街には好みの服屋や食べ物屋がある。建築だけでなく食べ物、時計、服、なんでも見るランニングトリップには「うちのおくさん」しか付き合ってくれないが、楽しい。
写真は全て新居千秋氏提供

 このシリーズは、建築家の方々に旅と建築について寄稿していただいています。次回は内藤廣氏です。

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