【インフラ整備70周年講演】第2回は「丸ノ内線」 戦後の苦難から東京の大発展を導いたプロジェクト | 建設通信新聞Digital

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【インフラ整備70周年講演】第2回は「丸ノ内線」 戦後の苦難から東京の大発展を導いたプロジェクト

 建設コンサルタンツ協会の連続講演会「インフラ整備70年講演会~戦後の代表的な100プロジェクト~」の第2回となる「戦後の苦難の中で建設され、東京都心の大発展を導いた地下鉄丸ノ内線」が12日、東京都千代田区のルポール麹町で開かれた。1954(昭和29)年1月に開業した地下鉄丸ノ内線の計画・設計と建設における創意工夫とともに、その意義を改めて確認した。
 この日は、事業主体である帝都高速度交通営団(現東京地下鉄)の元理事建設本部長の大門信之氏と、帝国ホテル・宝塚劇場脇のケーソン工事を施工した白石(現オリエンタル白石)から元副会長の斎藤良太郎氏、都心初のルーフシールド工法による施工を担当した熊谷組から元土木事業本部鉄道営業部部長の河内汎友氏(現汎技術事務所代表)が講演した。

左から斎藤氏、大門氏、河内氏

 この中で大門氏は、路線の概要や特徴とともに、戦争の悪化で中断した工事が戦後に再開された経緯などを詳述しながら、「資金が乏しく資材も機械もない厳しい条件下で手づくりした路線」であり、「その後の大手町や霞が関などの都心発展につながったことはもちろん、疲弊した産業の復興に寄与し、当時の人々に明るさと希望をもたらした」と整備効果を強調した。
 また人力による掘削が主体だった施工環境の中で生コンクリート大量施工の最初の工事だったことも紹介した。
 斎藤氏はケーソン5基をつないで沈める潜函工法による施工について、「移動式クレーンもない時代。ものを運んで設置するのに苦労した工事だった。人海戦術で能率の悪い工事だったが、この時代なりにさまざまな工夫がなされていた」と語り、河内氏も「営団地下鉄最初のシールド工事を成功させたことにより、その後多くのシールド工事の先例となった工事だった」と振り返った。

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