【甦った"マンガの聖地"】「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」忠実再現に向けた挑戦の数々 | 建設通信新聞Digital

4月26日 金曜日

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【甦った”マンガの聖地”】「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」忠実再現に向けた挑戦の数々

手塚治虫をはじめ、藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A)、石森章太郎(石ノ森章太郎)、赤塚不二夫ら昭和を代表するマンガ家が若い時代に過ごし、切磋琢磨したマンガの聖地「トキワ荘」。豊島区が進めてきた、トキワ荘をゆかりの地である南長崎花咲公園内に再現した「トキワ荘マンガミュージアム」が、7日にオープンする。日本が世界に誇るマンガ・アニメ文化の“源泉”を具現化し、情報発信することで、マンガ・アニメ文化の継承・発展につなげる。また、まちづくりに広げることで地域の魅力を高め来街者を増やし、活性化につなげる。

マンガ家たちが過ごしていたのは昭和30年代。築後10年を想定して 外壁の汚れや鉄枠のサビなど傷みも再現している

トキワ荘の再現–。1982年に取り壊された一般の木造2階建てアパートに図面は現存しない。わずかに残る当時の写真やマンガ家たちの記憶などをもとに『マンガの聖地』を細部まで忠実に甦らせてミュージアムにする。豊島区が進めてきた“挑戦”を振り返る。

当時、アパートへ続く小道の入り口にあった「トキワ荘」と書かれた看板も忠実に再現している

◆マンガの聖地
「いらっしゃいまし 私の名は……トキワ……ええ……生まれは昭和二十九年(原文ママ)ですの……」。手塚治虫は『まんがトキワ荘物語』をこう書き出す。アパートを擬人化したこの作品の中で「手塚治虫、寺田ヒロオ、藤子不二雄、石森章太郎、鈴木伸一、森安なおや、横田トクオ、赤塚不二夫、水野英子、長谷邦夫 その人たちはみんな私のところで苦しみはげましあいながら世に出て行きました」(同)と“トキワ荘”に語らせている。

トキワ荘が建ったのは、52(昭和27)年。翌53年に手塚は2階の14号室に入居し、54年まで過ごす。その後、同室には藤子不二雄A、藤子・F・不二雄が入居するなど、手塚を追って多くのマンガ家志望の若者たちが2階の各室に入居した。

「トキワ荘の数年は私にとって、青春そのものであった…」。56年から61年を過ごした石ノ森章太郎は『章説トキワ荘の青春』でこう語り、「部屋は二階。広い階段を上ると直ぐ正面に共同“便所”。その隣がやはり共同の炊事場。広くて暗い廊下…。右側、おしまいから二つめ部屋。そこがボクの部屋」と入居時を記す。

竣工式典のあいさつで、水野英子氏は当時の世の中のマンガに対する厳しい風当たりを話す一方、「マンガが好きで好きでマンガさえ書いていれば幸せという人たちが住んでいました。いつも笑い声が絶えなかった。天国のようでした」と当時を振り返る。

よこたとくお氏の再現部屋

2階の廊下。両側には4畳半の居室が並んでいる

◆再現にかける思い
高野之夫区長は「マンガ家志望の若者たちが上京し、ともにマンガに打ち込み過ごした熱い日々も感じてもらいたい」と語り、実物大の再現にこだわった。豊島区が2016年3月に基礎調査をまとめてから再現までの期間は約4年。16年に『(仮称)マンガの聖地としまミュージアム整備検討会議』を設置し、トキワ荘に暮らした鈴木伸一、水野英子、よこたとくお、山内ジョージの4氏をはじめ、学識経験者、地元地域団体の関係者らで構成。再現範囲や展示内容などを固めた。17年度には『(仮称)マンガの聖地としまミュージアム展示・建築設計検討会議』で、建築設計・展示設計と並行して検討を重ねて図面に落とし込んだ。建物内外の細部まで忠実に再現する一方、ミュージアムとしての最新機能を備えるため、設計段階から高い創意・工夫が求められ、高度な建築技術と巧みなエイジング技術によって実現した。

共同の炊事場。食器や瓶などの日用品にも当時の生活が感じられる

マンガ家たちが入居していた2階へと続く階段。ギシギシと軋む音も再現している

2つの会議の座長を務め、(仮称)マンガの聖地としまミュージアム運営検討会議の座長にも就任したマンガ家の里中満智子氏は、「昭和のレトロな記念館であってはならない。新しい文化と言われながら世の理解が得られない中で、諸先輩方がマンガを書き続けた若者のパワーの象徴であり、その業績が伝わるようにしなくてはならない。今後、ここから若い人や子どもたちに発信していくことが求められる」と語る。

高野区長も「これから“魂”を入れていかなくてはならない」と運営に重きを置く。ここを拠点に点から面へと回遊性ある街づくりを進める。魅力ある企画展によって、年間30万人の来館者を目指す。再現への期待は全国から集まった960件4億円以上の寄付にも表れている。
こうして、マンガ・アニメ文化を日本・世界に向けて発信する“新たな聖地”の1ページがきょう開く。

豊島区長 高野之夫氏に聞く/マンガ・アニメで街づくり


――事業の経緯について
「トキワ荘の再現は、わたしが区長に就任した1999年に、4000人を超える地域の皆さまからいただいた要望がきっかけとなりました。当時は財政難などもあり、実現までに時間を要しましたが、地域の方々の熱い思いは消えることがありませんでした。夢の実現に向けて、地域の皆さまとともに、南長崎花咲公園内の記念碑『トキワ荘のヒーローたち』やモニュメントを設置し、『豊島区トキワ荘通りお休み処』を整備するなどしてまいりました。そうした“地元愛”や、関係者の皆さまの強い後押しによって、今回の実現に至りました」
――まちづくりについて
「豊島区では、『国際アート・カルチャー都市としま』を掲げ、まちづくりを進めています。そうした中で、トキワ荘マンガミュージアムは、マンガ・アニメ文化の歴史を未来に継承していく役割を担っています。跡地に近い、南長崎花咲公園内に整備したことで周辺住民の皆さまの居住環境を守りながら多くの来場者を迎え入れることができます」
「今後は、国内外を問わず、子どもから大人まで幅広い世代に体感していただき、親しまれ、成長していくことを願っています。さらに、地域が活性化し、訪れた方々に街を楽しんでいただくような、街づくりにつなげていきたいと思っております」

設計のポイント/マンガ家が多く住んでいた築後10年ほどの状態を再現

トキワ荘マンガミュージアムは、多くの皆さまから熱望されていたトキワ荘の再現を行いながら、マンガ文化の発信拠点、地域文化の活動拠点となるアクティブな施設として整備されました。
建物の再現に関しては、設計図が一切残されていないため、各種調査をもとに設計を進めましたが、現代の環境に即した公共建築としてクリアすべき課題も多々ありました。
例えば、当時は木造だった建物も、今回は耐火建築物とするため鉄骨造としていますが、壁を二重にして内外の壁の間に鉄骨柱を隠すなど、鉄骨部材が見えないように留意しています。階段は現行法規に則して傾斜角の調整や手摺の追加設置を行いましたが、昇り降りする際には、あえてギシギシと軋み音がなるようにしました。当時はなかった空調設備も、吹出口が目立たないような工夫をするなど、いずれもトキワ荘に抱くイメージを損なわず、再現性にこだわった対処をしています。
また、トキワ荘の解体時は築後30年の年月がたっていましたが、再現する建物はマンガ家が多く住んでいた築後10年ほどの状態をイメージして、内外装にエイジング(経年変化による風合い演出)を施しています。昭和30年代のアパートを再現した2階に対して、1階はフレキシブルに活用できるマンガラウンジと企画展示室になっており、雰囲気も一転、刺激的な空間としています。
新たな建物は決して過去を顕彰するだけのメモリアル施設ではなく、先述した拠点機能を担う多世代交流の場、親子や子どもたちが日常的に気軽に利用できる場づくりを心掛けました。真新しいのに懐かしい、古めかしいのに輝かしい、そんな未来志向の不思議な空間をより多くの皆さまに体感していただければと思います。

丹青社
クリエイティブディレクター 加藤剛

 

公園の入り口に設置した「トキワ荘公園」のアーケード。南長崎ニコニコ商店街のアーケードを移築して活用。施設と街との一体感がシンボライズされている

南長崎花咲公園には、トキワ荘に住んでいたマンガ家たちの似顔絵とサインが組み合わされた金属製パネルが埋め込まれた記念碑「トキワ荘のヒーローたち」も建てられた

新設した公衆トイレ。トキワ荘側は当時の電話局外観をまとい、内側は現代アニメが描かれ、「マンガとアニメの融合」をデザインで表している

掲示されている公園の案内図

【工事概要】
▽施設名称=豊島区立トキワ荘マンガミュージアム
▽所在地=東京都豊島区南長崎3-9-22(南長崎花咲公園内)
▽建築主=豊島区
▽調査、建築設計、展示設計・施工(エイジングを含む)=丹青社
▽施工=渡邊建設
▽規模=S(再現棟)・RC(付属棟)造2階建て延べ約560㎡
▽施設内容=1階・企画展示室、マンガラウンジなど、2階・四畳半9室、共同炊事場、共同トイレ、常設展示室など
▽工期=2019年1月-20年2月