【日建設計「源流」の実像に迫る】林和久『野口孫市の建築術-西洋と日本のはざまで-』 | 建設通信新聞Digital

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【日建設計「源流」の実像に迫る】林和久『野口孫市の建築術-西洋と日本のはざまで-』

 明治時代後期、野口孫市という建築家がいた。住友本店臨時建築部初代技師長として現在の日建設計の土台を築いた人物とされている。だがその実像はこれまで不明な点が多く「知られざる建築家」でもあった。その野口孫市の人物像に迫った著作が発刊された。同書をものしたのは、元日建設計上席理事の林和久氏。約6年にわたり野口の軌跡を追いかけ続けた林氏に執筆の経緯や読みどころなどを聞いた。

林氏


 野口は1869年生まれ。逓信省を経て1900年、住友本店臨時建築部(現日建設計)の初代建築技師長に就任。15年に47歳で亡くなるまでの間、04年完成の中之島図書館や住友家須磨別邸(03年)などを手掛けた。野口と同時期に生まれた伊東忠太、武田五一といった建築家の研究が進む一方で「野口については遺された作品の数が少なく『住友の建築家』という特殊性もあってか、建築史の中で正確に位置付けられてこなかった。誰かが日本近代建築史の穴を埋めなければという思いがあった」と林氏は振り返る。

 野口との「出会い」は日建設計の社史編纂に当たっていた2014年、野口が遺した建築のトレースやスケッチ、日記など大量の資料が野口の子孫から住友史料館に寄贈されたことだった。社史を書き終えてなお野口のことを深く知りたいと思った林氏は、日建設計退職後も研究を継続。論文「建築家・野口孫市とその作品に関する研究」としてまとめ、19年に東大大学院から博士号を取得した。同書はこの博士論文をベースに「野口の建築術を追体験すること」に基本を置きつつ、人物像やその「建築術」について考察を進めている。

 野口の人物像について林氏は「共感の人」と評する。「敷地の持つ環境や歴史などに培われた場所の特性を敏感に感じ取り、施主である住友春翠の意向にも共感し、その建築を使う人々の心理にも寄り添おうとしていた。その共感の上に柔軟な建築的思考と密度高く蓄積された技術による野口の建築術の波長が重ね合わされていたのだった。それは今日の日建設計で働く設計者の原点であり、日建設計にとどまらず広く設計者に求められる精神ではないか」と話す。

 副題となった「西洋と日本のはざまで」という言葉にも、ひとしおの思い入れがある。「西洋の文明を日本の血とし肉とするため、葛藤したり苦悩しながらも誠実に建築に向き合おうとした野口孫市という人について、この本を通じて少しでも多くの人に知ってもらえたらうれしい」
 『野口孫市の建築術-西洋と日本のはざまで-』は創元社刊、価格は3500円(税別)。

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