【45°の視線】建築史家・建築批評家 五十嵐太郎氏 寄稿 ポスト311三部作としての『すずめの戸締まり』 | 建設通信新聞Digital

4月29日 月曜日

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【45°の視線】建築史家・建築批評家 五十嵐太郎氏 寄稿 ポスト311三部作としての『すずめの戸締まり』

◆遺棄された場所の記憶を悼む、喪の作業

 前回に引き続き、新海誠をとりあげる。11月に公開された最新作『すずめの戸締まり』は、記録的なヒットとなった『君の名は』(2016年)と『天気の子』(19年)に続く、ポスト311の三部作というべき内容だった。いずれも彗星の落下、終わらない雨、そして地震というカタストロフを題材としているが、やはり枠組はセカイ系である。ディザスターを描く映画は、一般的にさまざまな人間の群像劇だったり、社会問題をあぶりだす仕かけを導入したり、臨機応変にトラブルへの解決策を見いだすことが多いが、そうではないからだ。すなわち、若い男性と女性の恋愛的な関係を主軸とし(今回は戸を締める「閉じ師」の宗像創太が、椅子に変身することで、ビルドゥングロマンス=成長譚に対し、ファンタジー的な要素を加えているが)、しかも二人の個人的な行動が大きな世界の危機とつながっており、間に社会という本来は存在するはずの媒介が欠けている。

 もっとも、三部作において結末のあり方は変化していた。『君の名は』では、男女入れ替えラブコメに時空のねじれを持ち込むことよって、彗星の破片が直撃した糸守町の悲劇が起きなかった歴史に書き換えることを可能にしている。一方、『天気の子』は、100%の晴れ女となった陽菜の犠牲(=人柱)によって雨を止め、世界を救うことを帆高は選択せず、いささか衝撃的な結末だった。終盤において世界はどうせもともと狂っているし、そして東京はもともと海だったから、「天気なんて、狂ったままでいいんだ!」と述べている。その結果、世界の形を変えることになり、ほとんど水没した東京が描かれ、この新しい世界で、二人で生きていくことを決意するのだ。ある意味で、人間の都合と関係なく発生する大自然の脅威に抗わないという結末だろう。とすれば、『すずめの戸締まり』は、各地の廃虚に出現する扉を閉めることによって地震を防ぐのだが、来るべき関東大震災も止めるなど、次なるカタストロフを起こさせない。興味深いのは、九州、四国、神戸、東京、そして東北を移動するロード・ムービーになっており、東日本大震災に直接触れていることだ。同時にそれは遺棄された場所の記憶を悼む、喪の作業でもある。福島の原発による被災地や宮城県の道の駅も登場するが、建物の上にのった船がある廃虚のシーンから推測すると、岩手県の大槌町から着想を得たものだろう。

劇中にも福島、原発被災地のフェンスが登場


 廃虚のモチーフは、屋上に神社がある新宿駅近くのビルが重要な場所となる『天気の子』や『雲のむこう、約束の場所』(04年)でも使われる。また『天気の子』の気象と風景は、『言の葉の庭』(13年)の細やかな雨の描写を発展させたものだろう。そして『君の名は』と『すずめの戸締まり』は、時空のねじれという設定が共通する。特に後者は、まさに扉が異界とつながっており、過去の自分と出会うことさえ可能だ。窓学に関わってきた筆者としては、こうした開口部に対する想像力は決してめずらしいものではなく、むしろ古今東西の物語やアートにおいて認められる。新海誠の作品に一貫して認められるのは、垂直と水平の運動、あるいは二つの異なる場所だろう。例えば、『ほしのこえ』(02年)は宇宙と地上、『雲のむこう、約束の場所』の超絶的な塔(東京と北海道)、『言の葉の庭』や『天気の子』の雨(雲の上と東京)、『君の名は』は彗星の落下(東京と地方)などである。

 『すずめの戸締まり』では、日本列島を縦断したり、現実と異世界を行き来するほか、扉が開くと、おどろおどろしい「ミミズ」が天高く立ち上がり、これが倒れて、地上に触れると、地震が起きる。ちなみに、主人公の名前は岩戸鈴芽であり、「天岩戸」を踏まえたものだろう。また彼女は宗像創太とともに、「要石」を置くことによって、災をもたらす巨大なエネルギーを封じ込める。劇中においてそれは猫の姿になったり、人間が代替するが、建築の比喩が使われているのは興味深い。



 

(いがらし・たろう)建築史家・建築批評家。東北大大学院教授。あいちトリエンナーレ2013芸術監督、第11回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展日本館コミッショナーを務める。「インポッシブル・アーキテクチャー」「装飾をひもとく~日本橋の建築・再発見~」などの展覧会を監修。第64回芸術選奨文部科学大臣新人賞、18年日本建築学会教育賞(教育貢献)を受賞。『建築の東京』(みすず書房)ほか著書多数。



 

  

   

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