はじめに伊東氏は、みんなの家を「仮設に暮らす被災者が交流する最小の集まりの場という意味で公共施設の原点だ」と定義した上で「被災者支援という社会的(公共的)な役割を担い、利用者と直接話し合いながら設計する社会奉仕の性格を持つ、建築家の使命を考える絶好の機会だ」と、一緒に考えて一緒につくることの意義を強調した。
◆対話の経験を次に生かす
第1部の「東北でのみんなの家をめぐって」では、「陸前高田のみんなの家」を担当した1人である平田晃久氏(平田晃久建築設計事務所)が「ただ自分の個性を表現するのではなく、対話や協働を通じて間接的に考えを浮かび上がらせていく建築の原点を学んだ」と振り返った。この経験が市民との対話から設計案を導いた群馬県太田市美術館・図書館に結実したという。
「子どもたちの思い出に残るシルエットを意識した」という東松島のこどものみんなの家の設計で大西麻貴氏(o+h)は、半年にわたる現地の仮設住宅での暮らしや住民との交流から「地域に密着し、話しながら建築をつくる楽しみを見いだした」とし、事務所移転を機に都心で“居場所”をつくる取り組みを始めたことを紹介した。
◆みんなでつくる本格型みんなの家
第2部の「熊本でのみんなの家をめぐって」では、これまでの経験を生かし規格型のみんなの家が登場する一方、被災者やKASEI(九州建築学生仮設住宅環境改善プロジェクト)、地元の高校生などと「みんなでつくる」“本格型みんなの家”として、地元建築設計3会それぞれの若手グループによる事例が報告された。原田展幸日本建築家協会(JIA)熊本地域会代表幹事は「住民同士の対話の場となり、集落の現地再生に結びついた」と成果を語り、山室昌敬熊本県建築士事務所協会青年委員長は「可能な限りシンプルで使いやすいものを追求した」と強調した。熊本県建築士会青年部の甲斐健一氏は、昭和女子大や熊本工高と協働したブックカフェのようなみんなの家を紹介。それぞれが被災者に寄り添いながら復興支援の拠点にも利用しているという。
◆地域性取り入れ農家型復興住宅
第3部では、熊本県が被災市町から受託した災害公営住宅建設事業の事例をもとに「熊本での災害公営住宅をめぐって」をテーマに議論を展開。このうち、甲佐町白旗地区・乙女地区災害公営住宅を設計した工藤和美氏(シーラカンスK&H)は「対話の中から地域性を導いた」として土間のようなキッチンと、軒下で交流を生む大きな屋根を備える農家型災害公営住宅を提示した。
宇土市境目地区を担当した内田文雄氏(山口大教授)は、「将来の維持管理を含めて入居予定者と対話をしたかった」と対象が不在の中で建設計画を進めることに疑問を呈し、災害公営住宅では通常の公営住宅と異なる設計プロセスが必要だと訴えた。
甲佐町住まいの復興拠点施設整備の実施設計を進める岡野道子氏(岡野道子建築設計事務所)は、敷地中央にみんなの家を配置することで、性質が異なる災害公営住宅と子育て支援住宅をつなぐ役割を与えた。
伊東氏は「東北では建築家が自発的に動き、直接被災地に提案していたが、熊本ではKAP事業として初めから県が主体となって取り組むことができた」と振り返った。
山本理顕氏はKAPの30年にわたる建築文化都市推進の取り組みを高く評価した上で、「地方自治の重要性が改めて浮き彫りになった」と指摘。桂英昭氏(熊本大准教授)も「公共建築をつくる場合は建築家と行政との戦いになりがちだが、熊本では日ごろから顔が見える関係だからこそできたこともある」と、建築家と行政とのより良い関係づくりが必要との考えを示した。
アストリッド・クライン氏(クライン・ダイサム・アーキテクツ)は「建築が持つ当たり前の機能に加えて、メンタルヘルスへの効果も重要だと気付いた。心のよりどころとなる建築は被災地に限らず必要だ」と訴えた。
妹島和世氏は、みんなの家同士の連携を促し、サポートしていくために立ち上げたHOME-FOR-ALLについて「建てた後もずっと使い続けるための関係や環境づくりを含めて、つながり続けていく仕組みができた」と役割を紹介した。