斎藤信吾建築設計事務所の斎藤信吾氏、根本友樹氏、Ateliers Mumu Tashiroの田代夢々氏は、「公共トイレの在り方を問い直す」ことをキーワードに、トイレ8をつくり上げた。身体障害の有無や性自認などに合わせて、使いやすいトイレを自ら選び取れるのが特徴で、例えば、身体障害といってもその種類や程度は多岐にわたるからこそ、「男」「女」が当たり前だったトイレの“かた”を更新。選択肢を増やすことで、“ひとくくりにする”社会の在り方さえも問い直した。
トイレ8は、「バラバラなものを多様なままつくる」(斎藤氏)ことをテーマに、高さも大きさもさまざまな半円形の個室が立ち並ぶ分棟形式を採用。全てを「誰でもトイレ」にすることはせず、「女性」「男性」「男女共有」とゾーンを分けたのは、「世界中から人々が集う万博に求められるのは、全てのトイレを誰でもトイレ化することではない」と考えたためだ。
車いす利用者やオストメイト、介助が必要な人、ベビーカー連れ、LGBTQ+(性的少数者)をはじめ、社会には多様な人がいる。女性専用トイレや男性専用トイレを使うことを権利だと考える人もいる。一人として同じ人はいないからこそ、「全ての人のニーズを受け入れることはできなくても、たくさんの答えが存在する状況をつくりたいと思った」と斎藤氏は振り返る。コンテクスト(文脈)がない万博という特殊な敷地だったからこそ、「トイレという存在そのものに徹底的に向き合うことができた」と田代氏が言うように、“利用者目線”にとことんこだわった。
重要な役割を果たしたのが、2025年日本国際博覧会協会主催によるユニバーサルデザインワークショップだ。視覚・聴覚障害を持つ人や車いすユーザーなどに触知模型や1分の1サイズの図面でつくった疑似トイレを体験してもらい、意見交換することで、本当に必要とされる空間が次第に見えてきた。
その中で、「視覚障害の人向けに点字ブロックを設けると、車いすの人にとってはその段差が支障となる」「出入り口近くにおむつ交換台を設けてほしいという意見がある一方で、出しっぱなしにされてしまうと車いすユーザーは中に入れない」など、当事者でなければ分からない現実を知った。そうして、「誰かへの配慮が誰かの障壁になるという気付きを得て、違うものをたくさんつくる」(根本氏)という考え方が強固になった。
こだわったのはトイレ室内だけではない。当初外壁は平滑な曲面にすることを計画していたが、「視覚障害を持つ人が壁伝いに触りながら歩いたとき、外壁がなめらかだと、自分がどのくらい歩いた・曲がったのかが分からなくなってしまう。そこで、あえて角をつけた」と根本氏は解説する。さらに「未使用時に扉を全開にする」仕掛けも見逃せない。つり戸のレール勾配を通常と逆にし、取っ手を内側のみに取り付けるというシンプルなアイデアだが、色弱の人や介助が必要な人、子どもと、誰にでも空き状況が分かりやすいトイレとなった。
さまざまなパターンを用意したからこそ、「自分と違う他人がいるということを、利用者同士が互いに納得し合える状況がつくれた」と根本氏は手応えを語る。斎藤氏も「個々の使いやすさや居心地の良さの集合が、みんなにとっての豊かさにつながる」との思いを強くした。
「ひとまとまりな風景をつくる」ことも、その豊かさを形づくる上で欠かせない視点だ。「一つ」に感じられるように、各個室の配置の微調整を続けた。つくった模型の数は200に迫るほどだった。
“個に向き合う”重要性を再確認した一方で、根本氏は「一人ひとりの声に対して直接的に答えるだけなのは正解ではない。背景にある、その人が本当に必要としている事情や状況を読み取っていった先に、建築の力が発揮される」と語る。
田代氏も「公共施設も個人住宅も、本質的には通底する。それは、人間の解像度を上げるということ」といい、要望の裏にあるものに気づき、触れる姿勢を大切にする。
斎藤氏は今回の経験を踏まえつつ、「今までの建築計画が本当にそれで良いのかと問い直す時期にきているのではないか。それはトイレ一つとっても言える。いかに型破りなものがつくれるか。既にあるものを疑い、そして新しい“かた”をつくる。それがより良い社会を生む」と力強く語る。