震災経験を平常時に生かす
大震災から15年が経過しました。この間、全国の建設産業の皆さまから復興支援やボランティアをいただきましたことに改めて感謝いたします。地震・津波の自然災害に、原発事故との重複災害となった福島県相双地区。家族を避難させて歯を食いしばって残留し、避難所から連日通って応急対策に尽力した建設産業の人々があって、現在原発警戒区域以外の生活圏は、ほぼ復旧を終えました。
大震災の道路啓開・不明者捜索をはじめ、原発災害からの生活圏除染・ため池除染などを担う目的で結成した「南相馬市復興組合」では、この15年間に連続した台風水害や2度の地震災害復旧にも貢献した結果、市内維持管理の包括業務委託を受託する準備作業に入りました。後述する受発注双方の担い手不足を少しでも緩和し、復興半ばの南相馬市住民の要望に応える事業を計画しています。
震災後の人口減少から、地元実業高校の統合廃校が続き、相双地区には土木建築学科がなくなりました。今春の福島県高校受験倍率は1.00を割り、大半が進学中心の普通科・総合科に。土木建築を目指す生徒は、仙台市や首都圏に転出し、そのまま就職して相双地区にはUターンしてくれません。
震災当時に生まれた子どもが今年中学2年生です。原発避難で大部分の若者が他地区に避難し、そこで生活の拠点ができて、「ふるさと」は祖父母が住む町になったのです。ここまで若い世代が激減するとは想定以上でした。震災前は生産年齢人口の15%程度が建設産業でしたが、その人数が3分の1になったのですから、建設業従事者も大幅に減少するわけです。
震災復興が収束した今、15年前の経験を次の災害に生かせないかと考えています。大震災後に全国各地で大災害が頻発し、そのたびに復旧の遅れが話題になります。災害発生後に査定が入り、激甚指定を受け、応急対応~仮復旧~本復旧と進むわけですが、施工期間短縮のため、今のうちに堤防構造物や仮設住宅資材などを生産し、災害対応用に備蓄することができないものでしょうか。
災害時は本県内だけでなく、近県への応援輸送も可能です。台湾の地震災害では、発生2週間で1次避難所から2次避難所へ、そして仮設住宅へと移動が実現しています。
また海岸ブロックの製作は、復旧時期に各現場で重複しコンクリートの取り合いになります。震災後、われわれも既存生コン2社に加え、県建設業協会相馬支部にて期間限定で「復興生コンLLP(4年間25万m3)」を設立し出荷することでピークを緩和しました。
しかし、昨年度は既存2社では年間2万m3しか出荷していません。このままでは、製作ノウハウも廃れ、生コン会社も縮小し、地域守りができません。今なら次の災害に備えて、余裕を持って消波ブロックをつくり、建設会社・技術者・作業員・生コン会社が維持できるのです。河川や農業施設などの工事に使う二次製品製作もしかり。製作物の維持管理や国・県の資産計上の考え方など課題はあると思いますが、災害多発の現在、食糧と水に加えて、国土強靱化として災害対応建材の備蓄ができれば、「地域の守り手」が維持できると考えます。
地方でガソリンスタンドの減少が続き、生活圏維持が心配されるように、地域に建設産業がないと除雪・災害対応などインフラの維持管理ができません。自衛隊に並ぶ災害予備役として地域維持の限界事業量の確保を切に望みます。

