広島市の温品二葉の里線鋼上下部工事(28-3)に従事。現場監督として、職人とのコミュニケーションを密にしながら3月末の完成に向けて日々奮闘している。
幼少期は、大工の棟梁だった祖父の背中を見ながら「青空の下で仕事がしたい」と、ものづくりの仕事に憧れを抱いた。
就活中、現場監督を目指すも本当に務めきれるか悩んでいた時期に、映画『黒部の太陽』の主人公のモデルにもなった笹島建設の創業者である故・笹島信義氏の著書に感銘を受け感想文を送ったところ、本人から返事がきた。「技術を若い人たちに伝承したいという思いで執筆した。若手技術者が必要だ」という言葉に背中を押されこの業界に飛び込んだ。
2013年の入社後、建設部に配属された15年に愛知県の鍋田3号橋2期線で初めて現場に携わった。
その後、架設の応援で駆け付けたというトルコのオスマン・ガーズィー橋で海外の現場を経験し、岐阜県の東海環状スポーツプラザ高架橋で初めての現場代理人を務めた。
将来は「大きなプロジェクトを任せてもらえる人材になりたい」ときっぱり。「現場のみならず計画業務もマルチにこなせる技術者でなければならない。いろんな知識を吸収しながら活躍の場を広げていきたい」と意欲を示す。
趣味は登山や旅行とアウトドア派だ。会社の山岳部にも所属している。
(おがみ・えり)山口大学大学院理工学研究科修士課程修了。広島県出身、29歳。
幼少期は、大工の棟梁だった祖父の背中を見ながら「青空の下で仕事がしたい」と、ものづくりの仕事に憧れを抱いた。
就活中、現場監督を目指すも本当に務めきれるか悩んでいた時期に、映画『黒部の太陽』の主人公のモデルにもなった笹島建設の創業者である故・笹島信義氏の著書に感銘を受け感想文を送ったところ、本人から返事がきた。「技術を若い人たちに伝承したいという思いで執筆した。若手技術者が必要だ」という言葉に背中を押されこの業界に飛び込んだ。
2013年の入社後、建設部に配属された15年に愛知県の鍋田3号橋2期線で初めて現場に携わった。
その後、架設の応援で駆け付けたというトルコのオスマン・ガーズィー橋で海外の現場を経験し、岐阜県の東海環状スポーツプラザ高架橋で初めての現場代理人を務めた。
将来は「大きなプロジェクトを任せてもらえる人材になりたい」ときっぱり。「現場のみならず計画業務もマルチにこなせる技術者でなければならない。いろんな知識を吸収しながら活躍の場を広げていきたい」と意欲を示す。
趣味は登山や旅行とアウトドア派だ。会社の山岳部にも所属している。
(おがみ・えり)山口大学大学院理工学研究科修士課程修了。広島県出身、29歳。